青?裸々な日常
2008年6月1日~
第152号  てるてる亭?落しの巻。



6月1日(日)編みこみで 勇んで出かける 娘かな
先月の末はワーーッとお稽古日が続いた。
雨は降ってるし、最高気温は17℃だったり12℃だったり、
風邪をひきそうな数日間だった。
先月31日に予定されていた、娘の小学校の運動会もあっさりと中止になった。

今日は朝から夏がやってきたような天気。
昨日はストーブ、今日はクーラーってな日々じゃん。
ま、とにかく暖かいことに越したことはない。
娘はめちゃめちゃイベント好きで、走ったってビリだったりすんのに、なんであそこまで盛り上がれるのかって感じの人で、最近では、あきれるを通り越して尊敬しつつある。

僕が運動会に顔を出すのも数年ぶり。
確か低学年以来かなぁ。
あの頃は競技をするにも、みんながちっちゃいから、「我が娘どこにいるのか?」と見つけるのに苦労したものだが、さすがに6年生になるとデカイ。1年生の倍くらいデカイ。
いっつのまにあんなにでかくなったんだ。
捜すのは楽。


6月3日(火)
しかし。
17℃だったり28℃だったり、メチャメチャ良い天気だったり大雨だったり。
なにが起こってんだっちゅうくらいの日々ですな。
「拝啓」の後が書きづらくってしょうがないですな。
猫も寒いのでしょう。
朝、二階に上がっていったら、伽羅さんが、「とにかく膝を貸せ」と。
「そこは膝じゃないでしょーよ」「知らんが、とにかく動くな」と。
んな会話をしながら落ち着いてウトウトし始めましたからね、
猫にとっても「どないなっとんねん」ちゅう日々なんでしょうな。
さてさて、
4月から毎月行われている「長唄二題の会」。
4月は出席いたしました、そして、5月も無事に済んだとの連絡をいただきました。

以前、三七郎くんに「僕も出してよ」と人づてに言ったら
「兄さんはダメです」と人づてにビシッと言われましてね。
僕のことを先輩と見てくれている三七郎くんの愛情と、
僕が後輩たちを仲間と思っている愛情との会話なんですがね。
そう、ビシッと言われちゃうとますます出演したくなっちゃう。
だって、僕が作ったんだもーーん、出してーーー、って駄々っ子みたいになりまさぁね、誰しもが。
三七郎くんが折れましたね。
ヨッ、さすが後輩、先輩を立てますな。
「いいですよ、あれでしょ?俺たちが楽しくやってんのを見て『あー仲間に入りたいなぁ』ってんでしょ?はいはい、いいですよ、また始まったなって僕が思えばいいんですから、ヒヒヒ。兄さんのアレよ、また始まったなってね、はいはい」
と快諾(?)してくださいました。
「ただ、『特別ゲスト』って言う枠です」と言う。
やだーー、そんなのーーー、えらそーーー、それじゃなくても僕の批判が多いのにーーー(ほんとか?)。いばってるって思われてるのにーー(そう言われてるのか?)。
と言ってみたのですが、そこは折れてはくれませんでした。
まぁ、彼らの愛情だと受け取りました。
とにかく、出してもらえるならいいやーー。
「その代わりね、兄さんならよーーくわかってると思うけどね。先輩がね、あ、兄さんの方の言葉で言うと真打がね、二つ目の会に出るってことはね、そりゃあ、たっっくさんのお客さまを連れてこなくちゃいけないんだよ。ま、頭のいい兄さんだからね、そのへんはわかってると思うけどね」
「兄さんの方の言葉」ってのがひっかかるが。
さーーて、こまったぞ。
そういうことかぁ。
だって、「特別ゲスト 松永鉄九郎」だけ書かれたって、演目・・・いや、曲名も出てないし、どうやって売るのさーー。

6月4日(水)
うーーん、ここんとこのんびりしちゃってるなぁ。
いや、のんびりしていいはず、休みもあっていいはず。
でもなんなんでしょうか、その、罪悪感というほどのこともないのですが、休むとドンドンやる気がなくなっていくのですな。
もう一生ボーっとしてたいなぁと、やることもあるのにマリオカートやったりして、とにかくボーっとしてしまいます。
良く言えば、頭を休めているのでしょうが。
そんな今日は「写真を撮ります」という約束の日でした。
宣伝材料、略して宣材、その宣材写真を撮る日なのです。
ついでに秋の本公演にも使える写真が撮れたらなぁというワケで、デザイナーの鉄六にも来てもらいました。
数日ボーッとしていたせいか、なんだか顔がむくんでいるみたい。
ま、しょうがないやな。
終わるとクタクタになりましたな。
スタッフも疲れたことでしょう。

6月5日(木) なつかしの写真。



なんか職場復帰という感じである。
今日は稽古日。
11時スタートから21時まで。
昨日事務所に行き、どんな宣材写真を撮るかの打ち合わせをした。
以前の伝の会の写真をパラパラ見ていたら
テ「おおおっ、小野木(社長)ちゃん、この写真なに?」
小「ああ、志の輔師匠とやった玉村町のライヴですよ」
テ「いい写真だねぇ」
小「そうでしょ、僕が撮ったんですよ」
テ「ああ、だけど、何よこのスタイル」
小「トークしてるんでしょ。これ僕が撮ったんですよ」
テ「トーク?」
小「そうですよ。いい写真だなぁ、僕が撮ったんですよぉ客席からぁ」
テ「へぇ、トークしたんだぁ、志の輔さんと。いつだろうね」
小「この僕が撮った写真のことですか?ハハハ、2003年でしょ」
テ「ふーーん、もっと昔だと思ったがなぁ」
小「いやいや、僕が撮ったんだったなぁ、ははは」
テ「サイトー(古典空間)、これスキャニングして俺んとこに送っておいて」
サ「はーーい」
小「ああ、なるほどね、写真を持って行かなくてもいいんですね、その手がありましたか、ははは」
この「志の輔vs.伝の会」ってライヴの時に、娘は初めて志の輔さんに会ったのでした。
(2008年5月27日参照)
いつだったかなぁ、と考えていたが、アタシャ、「青?裸々」のことを思い出した。
遡る遡る、そして見つけた見つけた。
なんと2002年8月31日なんだ。
「シリーズ ザ・日本 第18回噺と音のバトル 志の輔vs.伝の会」という公演でした。
へぇ、この日記読むと、もう、アタシャ、この頃から志の輔さんに心酔しきってますね。
しかも6年前って言うことは、志の輔さんと僕って6歳違いだから、
この写真の志の輔さんって、今の僕と同い年なんだぁ、しっかりしてるなぁぁ。
いやいや、おもしろいおもしろい。


6月8日(日) としまえん。



テ「で、どうしてとしまえんのチケットが2枚あるんだ?」
娘「隣のWさんからもらったんだよ」
テ「へぇ、Wさんからもらったのか、どうして?」
娘「うーん、子どもがいるから喜ぶと思ったんじゃないの」
テ「なるほど、その通りお前は喜んでいるもんなぁ」
娘「うん、早く行こうよ」
テ「じゃ何かな、俺も次のお隣さんにとしまえんのチケットあげたほうがいいのかな?」
娘「なんで、順番に回さなきゃいけないのよ」
テ「はははは、そうだお前、バスの時刻表見て来い」
娘「え?バスで行くの?」
テ「としまえんっていやぁ、バスだ」
娘「さぁ」
テ「バスって決まってんだ。こちとらガキんときからとしまえんには何十ペンも行ってんだ。まだ『としまえん』じゃなく『豊島園』のときからだぞ。バスに15分乗ると豊島園に着くんだ」
娘「下赤塚から出てるってよ」
テ「おおっ、このヤロ。停留所に行かずにパソコンで調べたな。下赤塚じゃないよ。もっとウチの近所の、ホレ、すぐそこのバス停だよ」
娘「載ってないなぁ」
テ「このヤロ、すぐそこなんだから行ってくれば・・・ええいっ、俺がいっつくらぁ」
・・・・・・・・・・・
テ「おい、大変だぞ」
娘「どうしたの?」
テ「そこのバス停には豊島園行のバスは通ってない。どうしたんだろ?40年前は通っていたのに。今は光が丘行きだけだ」
娘「じゃどうしよ?」
テ「しかも、その光が丘行きにしたって一時間に1本だぞ。時刻表に『23』の羅列だ。『どんなに田舎なんだこの辺は』と思えたぞ」
娘「バスじゃ行けないね。でもとしまえんの駐車場は高いから車で行くのはやめようね」
テ「なぁに、しっかりしたこと言ってんだよ、金の価値もわかんないくせにー」
娘「わかるよー」
テ「ただ、今、ひとつわかったことはな」
娘「うん」
テ「光が丘に行きたいと思ったときには、毎時23分にバスが来るってことだ」
娘「そっちかい!」
テ「そっちよ。もうカチッと頭にインプットされたぞ、光が丘は23分。これからは『光が丘23』と呼ぶことにしよう」
娘「・・・・・・」
テ「電車で行こうな」
娘「うん」
テ「歩ったって行けそうな距離なんだがな、車が一番早いんだ。電車だとえらく遠回りなんだが、まあいい、電車にしよ」
娘「はい」

入り口でお姉さんが「雨が降ったら野外の乗り物は中止になってしまいますので、お先にお乗りください」と言った。
そういやぁ、雨が降りそうな天気である。
テ「おいっ、行くぞ」
娘「うん、なにから」
テ「ご飯からだ」
娘「ええっ?!」
テ「ははは、嘘だ。お前、時代だなぁ、『ええっ』て、子どもらしからないねぇ。実はとしまえんに来て、まずご飯だと思っていたんだが、今のおねえさんの発言により、とにかく野外の乗り物を制覇してしまおう。お腹減ってるけど我慢できるな」
娘「うん大丈夫だよ、何から乗るの?」
テ「選んでいる間はない。まずはあのジェットコースターの軽いようなやつに乗る」
娘「わーーい」
テ「そんなに喜ぶな。コースターが高い位置になったときに園内が見渡せる。その時に、あんまり人が並んでない乗り物をチェックしておくのだ」
娘「ええーー、無理だよーーー」
テ「ちっ、素人が!遊びじゃないんだぞーー」
娘「パパは、遊園地とかに来るといつも『遊びじゃないんだぞ』って言うけど、れっきとした遊びですから!」
て「ははは、言い放ったなぁ、しろーと。まぁいい。俺についてきなさい」

娘「キャーーー」
テ「オイオイ、騒ぐな。次はアレなんかどうだ?」
娘「キャーー、見れないよーーー」
テ「しょうがねぇなぁ、じゃ写真撮ってやろ」
娘「こんな時の写真なんていらないよーーー」
テ「おお、やっぱりジェットコースターで写真は難しいなぁ」
娘「あったりまーーキャーーーー!!!」

娘「次は何にしよ?」
テ「おい、娘、もうかなり制覇したぞ。俺はクラクラしてきた、ちょっと吐きそうだ。なんか、なんか食べさせてくれーー」
娘「うん、そういえばお腹減った。アメリカンドッグにしよ」
テ「バカやろー。もっとガッツリ食べよーぜ、カレーとか」
娘「そんなには減ってない。楽しいとお腹減らないんだよね」
テ「何をわけのわかんないことを、この小6が!・・・あ、そうだ、アメリカンドッグを買ってサイクロン(ジェットコースター)に並ぼう。ちょうどいいじゃねぇか」
娘「うん」
テ「このサイクロンっつーのはな」
娘「うん」
テ「としまえんの王道のジェットコースターだ。もうガキんときから何十ペン乗ったかわかんないくらいだ、必ず乗る」
娘「もう一回乗る?」
テ「バカか!乗り物フリーパス券だろーが。もう一ペンどころか、乗れるだけ乗るんだ」
娘「わーーい」
テ「しろーとが喜びやがって。元をとらなきゃいけねぇだろ」
テ「しかしあれだなぁ」
娘「なーに?」
テ「この、水ん中走るやつなぁ」
娘「フリュームライドだよ」
テ「お母さんと乗った記憶があるぞ」
娘「ママ?」
テ「ママじゃないよ、俺のお母さんだ。お前は会ったことないけど」
娘「パパのママ?」
テ「そうだ。顔は、そんな顔だ丸くて。お前そっくりだ」
娘「ふーん」
テ「あんまり感心してないな」
娘「そんなことないよ」
テ「そんなことあるぞ、大事な話だ。俺が小学校の時に、おふくろと乗った乗り物に、今まさに、俺が娘と乗ろうとしてるんだぞ。こんな歴史的なことが・・」
娘「順番来たよ」
テ「一人で乗って来い」
娘「えーーー」
テ「もう俺はダメだ、吐きそうだ」
娘「じゃ行ってくるね」
テ「ああ、そのかわり気をつけろよ。見えるとこには居てやるからな」
娘「うん」
テ「一人だとしがみつく人もいないぞーー。心細いぞーーー。事故があっても助けらんないぞーー」
娘「こわがらせるなっっ!」

娘「もうフラフラだよ」
テ「よく乗ったなぁ。しかし、フライングパイレーツとパイレーツはスゴイなぁ。二つもいらないって思うけどなぁ。でも違うもんだな」
娘「うん、違うよ」
テ「だろ。見ててもそう思った。あー、見てるだけで目が回ったよ」
娘「フライングカーペットもスゴイよね」
テ「なんだか、苦し紛れの名前だなぁ」

テ「パパと遊べてもう充分だな」
娘「うん、もう5時になるね」
テ「パパと遊べて今日はうれしかったな」
娘「うん」
テ「良かった良かった、パパと・・」
娘「もういいだろ!」
テ「うん」
娘「お腹減ったよ」
テ「じゃ、寿司でもつまんで帰ろう」
娘「お寿司ぃ?」
テ「バカ、ちょいとつまんで帰るには寿司が一番だ。なんつったって、すぐに出てくる。待たなくていい。日本人に合ってる。しかも昨今、寿司が一番安い。ホレッ、そこに『がってん寿司』ってのがある」
娘「ほんとだ。志の輔さん知ってんのかなぁ?」
テ「どうかなぁ?知ってたところでなァ」

6月10日(火) 馬橋という名字。
「松永鉄九郎」って名前になって25年、26年かな?
名前をいただいたときに本名は捨てた。
「捨てた」って言うとご先祖さまに申し訳ないが、名前をいただいたときから「松永鉄九郎」として生きていこうと決めた。
母親も「もう一生、松永鉄九郎で生きていくんだからね」と僕に言った。
あれから四半世紀、本名より芸名の方で長く生きている。
本名はほとんど使わない、全くと言ってもいいかも。
確定申告の時くらいか、医者にもほとんど行かないし。
それが、4月からカードを持ち始めたことによって、やたらに本名を使うことが多くなった。
以前はカードも芸名だったが、今度のカードは本名なのだ。
クレジットのサインももちろん本名。
なんか、やたらに、本名を書く。
芸名のサインよりはるかに多い回数だ。
実は、本名を封印していたのには、自分の名前が苦手だったのもある。
「馬橋」という名前。
「まばし」と読む。
馬が橋を渡ったんだろーみたいな。
大抵「うまはし」とか言われる。
他にも「まはし」「ばばし」と、読み方も豊富にある。
「松永」は読み間違えないもんなぁ。
みんな「まつなが」って言ってくれるし。
ま、読み間違えがイヤというばかりではないが、なんか本名が苦手だったのは確かだ。
さて、それが4月からめっぽう本名のサインをしているうちに、
なんでかしらないが、本名が気に入ってきた。
「まばしあつし」
この苗字と名前で韻を踏んでるような名前を。
そうしてくると、不思議なもので、本名の僕がチョロチョロ顔を出すようになった。
25年間、おきざりにされていた「まばしあつし」が。
先日など「『まばし』ってカッコイイ苗字じゃないですか!」
などと言ってもらったりして。
お世辞でもうれしいですわな。
おだてられるとすぐにいい気になる僕は、「ふーーん、そうなのかぁぁ。本名もいいもんだなぁ」などとニヤニヤする始末。
10日、沖縄に行った。
お稽古日だから。
スタッフと話すといろいろアイデアが出てくる。
那覇の人たちの感覚が面白いというのもあるが、
今まで思ってもみなかったような企画が持ち上がったりする。
それを素直に受け入れてる自分がいたりする。
それはひょっとすると鉄九郎じゃなくて敦なのかも知れない。


6月12日(木)浜松。
なんだ、今日は寒いぞーーー、雨降ってるしーー。
ま、いいや、とにかく浜松に向けてゴー。
携帯に入れておいた映画を見てるうちに到着。
お稽古場に行き、ご飯を食べ、お稽古開始。
途中途中でグーグー昼寝。
二、三回昼寝したところで、お稽古終了。
夕食食べて、またゴロッと寝た。
夜のお稽古に突入。
なんだか、食べて寝て稽古しての一日みたいだ。
そのとおりだけど。


6月13日(金) 浜松。
浜松、本日はピーカンです。
太平洋の照りっ返しって感じ、スゴイですなぁ。
沖縄みたい。
ま、私は常々、浜松を本州の沖縄だと言っておりますが。
いろいろ予定があったんだけど、寝坊でキャンセル。
呉服屋さんだけ行って、お稽古開始。
ダーーーッと、夜7時過ぎまで。
そして宴会というかお食事。
最終の新幹線。
豊橋を出たところで問題があったらしく、ちょいと遅れて到着。
13分くらい遅れたかな。
東京駅に着いた時には8分遅れだった。
5分取り戻したんですね。
電車乗り継いで帰宅。
そういえば明日から副都心線が開通する。
我が駅も便利になる。
結構結構。
楽しみだなーーー。
明日は富山へ行きます。
「てるてる亭」の?落とし。
ホームページはこちら http://www.teruteru-tei.jp/
イヤッッッホーーーー。
邦さんの予定がつかず、残念ながら伝の会での出演は叶わないのだ。
そのかわり、勝利(塚原勝利)くんと一緒に行ってきます。
二人でやるのは初舞台。
副都心線あり、てるてる亭あり、初舞台あり、
6月14日は記念日パレードだぜーい。
さ、さ、早く寝なくちゃ。


6月14日(土) てるてる亭。
本日「てるてる亭」の柿落としへ行く。
なんだか興奮してるみたいで、早めに起きて、早めに家を出た。
副都心線が今日から開通。
でもなぁ、羽田には有楽町線だなぁと思いながらホームへ。
一つのホームを副都心線と有楽町線が使う。
来たのは副都心線。
小竹向原で有楽町線に乗り換えればいいんだなと乗車。
土曜日なのにめちゃめちゃ混んでる。
みんな新しい電車に乗りたがってんのかと思ったら、なんのことはない、ダイヤが乱れているそうな。有楽町線でちょいとしたトラブルがあったらしい。
小竹向原で有楽町線に乗ろうとしたら、なかなか来ないらしい。
ジャってんで、副都心線で池袋へ出た。
今までの「新線池袋」駅が副都心線の「池袋」駅になったんだけど、
なんと、丸の内線と繋がっていた。
「丸の内線」っていう矢印の方に歩いて行ったら、丸の内線のホームに出た。
いやいや驚いたぜ。
スゴイもんだねぇしかし。
ジャってんで、丸の内線で東京駅に行く。
東京駅に来ると自然と新幹線入り口に足が向いてしまうのをグッとこらえて山手線で浜松町駅へ。
ふーー
なんだか、あわただしかったなぁ。
チェックインしてモノレールへ。
久々の第二ターミナル。
なにぶん、ワタクシ、JALしか乗らないもので。
でも富山は全日空しか飛んでないのだ。
いやいや、全日空久々久々。
搭乗口でカツトシ(東音 塚原勝利)に会う。
今日は二人で「てるてる亭」出演なのだ。
テ「お前、席、前の方か?」
カ「いや、そこそこ」
見ると31F。
僕の席が31C。
乗って見ると、僕とカツトシの間の2席は人が来なかった。
テ「おおお、スッゲーな。同じ列だぜ」
カ「偶然だ」
テ「ここの席とるのに、俺、座席表見ながら随分と考えたんだぞーー」
カ「俺はポンって押しただけだよ」
テ「考えて考えてこの席と、まったくの機械任せでその席かよーー。なんか人生を表してるようだなぁ」

富山空港に無事に着き、迎えの車で「てるてる亭」へ。
テ「いやいやいやーーー、いいっすねー、スッゴイですねぇ、出来ましたねーー、てるてる亭」
志「ああ、これからが大変だよ」
テ「師匠ありがとうございます。柿落としに呼んでくだすって。スゴイうれしいです」
志「いやいや、よく来てくれた」
ピッカピカのてるてる亭。
志の輔師匠の思いがこもった小屋。
そこに出演させてもらえるなんて。
うーー、
うれしいのを通り過ぎて緊張してきた。
緊張するコトは大ありなのだ。
カツトシとやること。
やること自体はなーんも緊張しないが、
カツトシとでなきゃ出来ないものをやりたいと思っていた。
それが難しい。
だって、邦さんとの伝の会で、ほとんどの思うことはやってるから。
相手が邦さんからカツトシに変わっただけというネタをやった日にゃ、邦さんにもカツトシにも申し訳ない。
伝の会のネタじゃないもので、伝の会のようにウケるもの・・・・。
6日にカツトシと練習したときに「富山発・世界めぐり」という曲を作った。
これなら僕とカツトシにぴったしの曲だ。
よっしゃーーーっと思ったものの、次の心配は
「さてこれが受け入れてもらえるか?お客さまに、志の輔さんに」
本番まで、その曲をやるかどうか悩むテツクロ。
カ「どーします?なんか、お客様の雰囲気も違うみたいだし、やめましょっか」
この一言が僕に「よっしゃ、やろーぜ」と言わせた。
いやいや、揺れるなぁテツクロ。
「富山発・世界めぐり」の最後の部分は「こきりこ節」になるのだが、
なんと、その部分、お客様が歌ってくれたのだ。
びっくりした。
感動した。
受け入れてくれた。
うれしかったーーー。
テ「良かったなぁ(笑)」
カ「ウケましたねぇ(笑)」
テ「なんか、夜の部もあるんだけど、もうすでに、この場でビール飲みたいな(笑)」

終演後
志「いろんなこと考えるなぁ(ニヤッ)」
ホッ
ホッホッホッ。
良かった良かった。
志の輔師匠にも受け入れられたわ。
志「メシ食いにいこ」
テ「はーーい」
みんなで食べたラーメン
実においしかった。
夜の部のお客様も歌ってくれた。
テ「お客様が温かくて温かくて」
志「よそから来た人にはあったかいんだよ(ニヤッ)」
たった一度の?落とし。
ずーーっと残っていく「てるてる亭」。
最初に舞台に立った東京もんは俺たちだったんだぜーーー。


6月16日(月) 各務原→東京。
よく寝たんだけど、まだ寝ていたい午前7時起床。
7時半に迎えが来て「美笠」へ。
美笠の女将さんたちと岐阜に出発。
車なので、とにかく寝る。
着いたところは岐阜県各務原市の航空自衛隊。
ちょいと知り合いがいましてね、ちょいと用事もありまして、
一度、お伺いすることになっていましたので、皆で来たわけです。
14時までたっぷりお邪魔して、名古屋から新幹線に飛び乗りました。
獅童事務所のお稽古をして、帰りの地下鉄。
あ、「新宿三丁目」から副都心線に乗換えが出来るようになったんだ。
便利じゃのう。
でも、相変わらずダイヤは乱れていた。


6月17日(火) 父親の仕事の都合。
10時に娘を迎えに。
早退させるのだ。
理由は「父親の仕事の都合」。
学校に入っていくと、やけに父兄の人が多い。
はて、みんな早退のお迎えか?
な、わけはない。
どうやら、参観日らしい。
なにっ、今日、参観日だったのか。
そういやぁ、そんなこと言ってたなぁ。
娘「遅いよーー」
テ「えっ、10時だぞ、今」
娘「もうちょっと早く来るかと思ってた」
テ「ま、とにかく急ごう。帰ってすぐに出かけるぞ」
11時20分、四ッ谷駅集合。
今日は防衛省に行く。
昨日今日と自衛隊めぐりだ。
そしてなんと浜松から「美笠」の女将さんたちも来ている。
すごいねぇ、ツアーです。
なかなか入れないとこですからねぇ、娘も学校をサボらせた。
で、理由は
「ちょいと知り合いがいましてね、ちょいと用事もありまして、
一度、お伺いすることになっていましたので、皆で来たわけです。」
となる。
いやいや、途中で見学ツアーにも入れていただき、東京裁判やったところとかね、見学させていただきました。
スゴイですねぇ、しかし。
防衛省の中って街みたいです。
なんか架空の街みたい。
とにかく、日本を守ってる人たちの集まりでした。


6月19日(木) 娘、NHKへ。



昨日今日と稽古日。
夜はNHK-FMの「邦楽のひととき」の録音へ。
かみさんが留守なので、娘同伴で行く。
娘「電車で行くの?」
テ「あ、車で行くか!」
乗った途端にグーグー寝る娘。

NHKに着いちゃった。
テ「おい、起きろ。なかなかお前のような一般小学生が入れないNHKに着いたぞ。ありがたく思え、寝てる場合じゃないぞ」
娘「ふえーー、マジに寝た」
テ「知ってるよ。とにかくお腹がすいた。食堂に行こう」
テ「何にするか決めたか?」
娘「うん」
テ「何にするんだ?」
娘「ネギトロ丼」
テ「俺はランチだな」
娘「あの子、お店の子じゃないんだ」
テ「え?そりゃそうだろ。お前くらいの子じゃないか。なんで食堂で働かなきゃいかんのだ。放送に出るんだかの子だろ」
娘「ああ、そうなんだ。お辞儀されたんだよ」
テ「ああ、子役か何かと思われたんじゃないか」
娘「いろんな人にお辞儀されるよ」
テ「そりゃ、俺が有名だからだろ」
娘「それは絶対に違う」
テ「うん。正しい」
娘「モグモグ」
テ「しかし、あれだな、よく寝起きにそんなにモグモグ食えるなぁ。たいらげるつもりだな。そんなにお腹減ってたんかい」
娘「ううん、そんなに減ってないよ」
テ「じゃ、残せよ。競技じゃないんだから」
娘「また、こっち見てるよ、あの子」
テ「お前がただのお供だとは思わないんだろうな。全部食べやがったな」
娘「ごちそうさま」
テ「帰りは何食べようか?」
娘「もう今日は食べなくていいよ」

一時間くらいで終わり、片付けをして帰る段になっても娘がスタジオに姿を見せない。
どうやら、ディレクター部屋で寝てるようだ。
ディ「あんまりよく眠ってるもんで、起こせなくて(笑)」
テ「ははは、ご迷惑おかけしました」
ディ「いえいえ、ただ、よくこの音が大きいところで寝られるなぁって思って(笑)」
テ「特技なんでしょうなぁ。オイっ、コラッ、起きろ。帰るぞ。っていうか、もうみんな帰っちゃったぞ」
娘「ふあーーー」
テ「よく寝てたなぁ」
娘「あのソファ、ふかふかで気持ちよかったよ。全部おしまい?」
テ「ああ、終わりだ。帰るだけだよ」
娘「今日は早く寝ようっと」
テ「もう、寝すぎだろ!さてと、何食べて帰るかな」
娘「また、食べるんかいっ!」


6月20日(金)志の輔らくご 巣鴨四丁目落語会。
獅童くんとこのお稽古を終え、大塚へ。
今夜は志の輔さんの巣鴨の会。
支度して、ワタシは池袋へ。
今夜もかみさんが留守なので娘を巣鴨に連れていくため。
先月に続いて2回目。
テ「師匠すみません。今夜も子連れで申し訳ありません」
志「いやいや、また会えたねって言ってたんだよなぁ」
と娘にやさしくしてくれる。
ありがたいことだ。
鉄六と鉄七に出囃子をやらせる。
ワタクシは監督。
志の輔さんの出囃子の「梅は咲いたか」が聞える。
志の輔さんスタンバイ、僕もそばにいる。
志「弟子が二人でちゃんと弾いてるんだから来なくたっていいのに」
テ「いやいや、安心してられませんから」
志「うーん、じゃ、またなんかやってよ」
テ「あ、はい」
志「休憩後に」
テ「はい、ありがとうございます」
師匠、高座に上がっていった。
うーん、今夜も出番を作ってくれた。


6月21日(土)志の輔らくご 21世紀は21日。
二日間連れ歩いた娘は、さすがに疲れたのだろう、全然起きてこない。
アタシャ、10時からお稽古開始。
ちょいと頭がフラフラするが。
ちょいと娘がうらやましいが。
気がついたらお腹減った。
15時に来る鉄六におにぎり買ってきてもらう。
初の食事がコンビニのおにぎり、15時。
16時に出発。
今日は志の輔らくご安田の会の日。
「お蕎麦でも食べて行きましょうよ」の一声でお蕎麦が食べたいお腹になってしまった。
新宿で2食目。
17時すぎに新宿明治安田生命ホールに入る。
サウンドチェックをして楽屋に戻ったらお弁当が。
ヒロさん食べ始める。
おいしそうだ。
はい、というわけで、3食目はオムライス弁当。
ふーー、本日の三食を短時間で済ませてしまったな。


6月22日(日)
稽古日。
結構な雨です。
夜、27日の「長唄二題の会」の稽古に剛二郎くんがやってきた。
僕との稽古を一生懸命録音していた。
彼が帰ったあと、テーブルには録音機が置いてあった。


6月23日(月) 京都。
ちょいとゆっくり出勤。
そしたら「おしょはん、今日南座に行くの知ってますか?3時半には出発ですよー」
ありゃ、こりゃ急いでお稽古しなくっちゃー。
夜の部だからもっとゆっくり始まりだと思ったら4時からだったーー。
うーー、まあ、そういえば、歌舞伎の夜の部だって4時半だったりするもんなぁ。そんな世界に30年近くいるのにーー。
最近、ちょいと歌舞伎じゃないほうにどっぷりなもんで、夜の部と聞くと7時とかって思っちゃうんだーー。
「水無月 喜劇名作公演」
藤山直美さんの公演ですね。
2004年にお仕事をご一緒させていただいてます。
あれ以来。
ほほーー、月日は流れるーーー。
でも、あの一ヶ月のことはしっかり覚えていますよ。
知りたい方はこちらへ。
弾いてないときも毎日見ましたからね。
一時たりとも目も耳も休めなかったですねぇ。
夜の部の演目は「大阪ぎらい物語」と「村は祭りで大騒ぎ」
僕も関わった「大阪ぎらい・・」。
ワタシ、誰の役もできるくらいセリフ入ってまっせーーー、んなことないか。
ま、それほど、好きだってことですな。
泣いて笑って泣いて笑ってでしたわ。
いやいや、2004年かぁ。
この年の暮れの「志の輔パルコ」を見て、感動して、僕の今の人生があるような気がするなぁ。
あの暮れにパルコに行かなければ、知り合ってない人が山のようにいますねぇ。
そう考えると怖い怖い。


6月24日(火)
大阪に行きましてね。
ちょいとお稽古をしました。
帰りの飛行機まで時間が随分とあったのでね、
空港にずーーっといましたね。
ワタクシ、どうやら飛行機好きですね。
空港にいられるんだもの3時間以上も。
こりゃちょっとおかしいぜ。
どうやら飛行機好きだぜ。


6月25日(水) 風呂敷ってバスマット。
夜、お風呂上りに
娘「パパぁ、風呂敷ってさ、昔はバスマットだったの?」
テ「え?なんでさ。包むものだよ・・・・・あ、字か」
娘「うん。読んで字の如く」
テ「うーーーん、風呂敷かぁ」
娘「そうだったんじゃないの?」
テ「うーーん、違うだろう。なんか理由があるはずだよ、『風呂敷』と書くさ。調べろよ」
娘「ねぇ」
テ「なんだよ」
娘「日記(ミクシィ)書いてるんでしょ?」
テ「ああ」
娘「だったらそこに書いておいてよ、誰か知ってるかもしれないじゃない」
テ「お前、ヘンなこと思いつくなぁ」


6月26日(木)
テ「おい」
娘「はい?」
テ「風呂敷のことさ」
娘「うん」
テ「昨日日記に書いたら皆様から風呂敷の語源を教わったぞ」
娘「えっ、ほんと。どうだったどうだった?」
テ「お風呂の敷物から始まったことは確かだぞ」
娘「やったーーー!勝ちーーーー」
テ「いやいや、お前のバスマットっていうのは違うぞ」
娘「でもお風呂に関係してたんでしょ?」
テ「そうだよ」
娘「やったーーー、勝ちーーーー!」
テ「いや、違うけど。しかも、その『勝ちーーー』っての、誰に対してだ」


6月27日(金) 長唄二題の会の三題目。
「長唄二題の会」。
とにかく毎月やるっていうエネルギーはスゴイ。
あんまり楽しそうにやってるから、僕も出たくなった。
弾きに行きました。
三七郎くんの唄で剛二郎くんと一緒に「岸の柳」を。
楽しかった。
後輩の人たちとやることって初めてに近い。
楽しかった。


6月28日(土) 桐生 志の輔らくご。
勝「もしもし」
テ「おお、着いたか?」
勝「着きましたよ」
テ「ああ、俺も着いた、今出て行く」
桐生駅で塚原勝利くんと待ち合わせていた。
時刻は12時になろうとしている。
テ「どうやって来たんだよ」
勝「小山から両毛線で」
テ「じゃ、同じ電車に乗ってたんだな」
勝「そうだと思いますよ」
テ「タクシーどっちだ」
勝「あそこですね。一台もいないじゃない」
テ「すぐ来るだろ」
・・・・・・・・・・・
勝「来ないなぁ」
テ「このまま夜になりそうだな。交番で聞いてくる」
交「そこに電話番号書いてありますよ」
テ「おお、じゃ電話してみまーす」
勝「来ましたよ」
テ「おっ、タイミングいいねぇ、有燐館まで行ってください」

今日は志の輔さんの独演会を桐生でやる日。
志「おーー、来たなぁ、ようこそ」
テ「ようこそー」
志「はははは」
勝「よろしくお願いをいたします」
志「ああ、すいませんね、よろしくねぇ」
蔵の中に300人のお客様。
昼の部開演。
そして中入り。

舞台はライトで暑いそうな。
志「ひゃー、暑い暑い」
中入り後が僕らの出番。
テ「じゃ、行ってまいります」
志「頼むな」
勝「よろしくお願いします」
志「暑いからって、早くおりてこないように(笑)」

富山に続いて2度目のユニット
松永鉄九郎と塚原勝利
まぁ、桐生のお客様もあったかいですわ。
プラプラして夜の部開演。
だんだん湿気が多くなってきた。
雨がそこまでやってきているのだろう。
夜の部の演奏はなかなか大変であったのだ。
テ「夜の方が湿気がすごかったですね」
志「なぁ。雨が来てるんだねぇ」
志の輔さんは翌朝ゴルフの予定、
もう一枚カッパがいると言っている。
志「じゃあな」
テ・勝「ありがとうございました」

桐生駅に向かう。
タクシー乗り場にタクシーが2台いる。
勝「アツシさん、ビール買おうよ」
テ「うん」
勝「あ、でも売ってないなぁ」
テ「そんなことないだろ、駅なんだから」
勝「いや、昼に来たときに見たんだけど売ってないですよ」
テ「チェック済みかい!」
ビール無しで高崎まで行き、新幹線へ。
テ「そんなに買わなくてもいいだろ」
勝「だって無くなったらやじゃん」
テ「すぐ着くよ、東京に」
勝「いいんです!」
結局、東京駅に着いて、神田まで行き、また飲み始めた。
勝利と一緒に飲むなんてのは、15年ぶりくらいかもしれない。
若い時代を一緒にすごした仲間。
また、この年で一緒にやるとは思わなかった。
これからも楽しみだ。


6月29日(日)
夕方になって美容院に行きました。
娘連れて。
前回のカットも娘と同時にしたので、行くタイミングが一緒になっちゃったのかな。
雨が降ってましたな。
副都心線で初めて渋谷駅まで行きました。
ほほぉ、こんなとこに出るのかと。
シャンプー中から髪を切ってる間じゅう、グーグー寝てしまったようで、カットが出来ない状態になり中断したところで目が覚めたのだそうです。
あとで娘がそう言ってました。
娘「パパが寝ちゃってるから、『カットできないや』って言ってたよ。
気を遣ってもらってんだよ」と。


6月30日(月)
お稽古日ですね。
昼過ぎからはスクハジの7月の公演でやる「五色の糸」の稽古を見ました。
唄の鉄文智さんも来ましてね。
娘は1日から移動教室で長野に行くそうで、テンションあがっちゃってましてね、なにぶん、イベント好きなもんで。
早くお風呂に入って寝ると言うので、夜の慌しいことったらありゃしない。
娘が寝たあとで、こっちはまだ仕事です。
伝の会秋の本公演のチラシがいよいよデザインが決まり、最終チェックのとこまで来ました。
夜中までその作業やらマリオカートやらで、就寝です。


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