鶴  亀
嘉永四年(1851)十二月

作曲 十代目 杵屋六左衛門
〈本調子〉 
それ青陽の春になれば 四季の節会の事始め 
不老門にて日月の 光を君の叡覧にて 
百官卿相袖を連ぬ その数一億百余人 拝をすすむる 万戸の声 
一同に 拝するその音は 天に響きておびただし 
庭の砂(いさご)は金銀の 玉を連ねて敷妙の 五百重(いほへ)の錦や瑠璃の扉 
硨磲(しゃこ)の行桁(ゆきげた) 瑪瑙の橋 池の汀(みぎは)の鶴亀は 
蓬莱山も余所ならず 君の恵みぞ ありがたき 
如何に奏聞申すべき事の候 
奏聞とは何事ぞ 
毎年の嘉例の如く 鶴亀を舞はせられ 
その後月宮殿にて舞楽を 奏せらりょうずるにて候 
ともかくもはからひ候へ 亀は万年の齢を経 鶴も千代をや重ぬらん

〈二上り〉 
千代のためしの数々に 何をひかまし姫小松 
齢に比ふ丹頂の 鶴も羽袖をたをやかに 
千代をかさねて舞遊ぶ みぎりにしげる呉竹の 
みどりの亀の 幾万代も池水に 棲めるも安き君が代を 
仰ぎ奏でて鶴と亀 齢を授け奉れば 君も御感の余りにや 舞楽を奏して舞ひたまふ

〈本調子〉[楽の合方]
月宮殿の白衣のたもと 月宮殿の白衣の袂 
色々妙なる花の袖 秋は時雨の紅葉の羽袖 
冬は冴え行く雪の袂を 翻す衣も薄紫の 雲の上人の舞楽の声々に 
霓裳羽衣の曲をなせば 山河草木国土豊かに 
千代万代と舞ひたまへば 官人駕輿丁(かよちょう)御輿を早め 
君の齢も長生殿に 君の齢も長生殿に 還御なるこそめでたけれ


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ここに「鶴亀」のほんの一部をYouTubeで紹介しています 見られない方はこちらへ

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中国・唐の時代。宮廷では、新年を祝う節会が今まさに始まろうとしています。
天まで届く役人たちの祝賀の声、蓬莱山と見まごうほどにきらびやかな宮殿のさま。
宮殿に住む鶴と亀までもが、皇帝の治世をことほぎ、舞を舞って皇帝に長寿の命を捧げます――。

謡曲「鶴亀」に基づく作品で、一部に長唄独自の歌詞があるものの、謡曲の詞章のほぼ全てを取り入れ、
また囃子の手組においても、能楽の手法を多用しているようです。
謡曲を典拠とする長唄は多くありますが、例えば長唄「老松」が謡曲「老松」の詞章を部分的に用いたり、
章句の順を大きく変えたりして、新たな作品をつくりだしているのに対し、
本曲は能の「鶴亀」の世界をそのまま長唄に移している点が特徴的です。
とはいえ、本曲は単に能楽を模倣したものではありません。
三味線の旋律では、先行する長唄から旋律を引用したり、歌詞を象徴するような技法を取り入れたり、
さまざまな工夫が凝らされていることが指摘されています。
長唄は所作事の伴奏として、また芝居の効果音として発展し、
さらに素唄として歌舞伎を離れることで、表現の枠を拡げてきました。
そこに俳優や踊り手がいなくても、喜びや悲しみが伝わるように。
大道具や書割がなくても、風景や場面が伝わるように。
視覚に頼らず、唄と三味線とお囃子だけで、さまざまな世界を伝えることのできる芸能になったのです。
能楽「鶴亀」の華麗さ、荘厳さを、長唄はどのように表現できるのか。
本曲誕生の背景には、そんな意欲と挑戦があったのかもしれません。

さて、本曲に登場する中国の皇帝は、楊貴妃を寵愛したことで知られる唐第六代の皇帝、玄宗です。
後には楊貴妃への恋情に溺れるあまり、安禄山の乱を招いて唐衰退のもとをつくったとされる玄宗ですが、
実は在位は四十五年にわたり、治世の前半は「開元の治」と呼ばれる善政で、
長く唐の全盛時代を築いた賢帝でもありました。
詞章の後半で登場する「霓裳羽衣の曲」には、
玄宗が月の世界に遊んだ時、天人達の舞う姿を見てつくったという幻想的な伝説があります。
鶴と亀が皇帝をたたえて舞い、きらびやかな宮殿に、月の王宮の思い出深い楽の音が流れる――。
そんな不思議なことが起こり得るのも、すべて皇帝の徳によるもの。
聖代に、また新しい春がやってきました。
長唄に数ある祝儀曲の中でも、清々しくおごそかな雰囲気に満ちた一曲です。



【こんなカンジで読んでみました】

青陽と呼ばれる春になると、宮廷では四季ごとの節会のはじめ、新春の節会が行われる。
皇帝は不老門において、太陽と月の光をご覧になり、参集した大臣公卿は袖を連ねて列をなすのだ。
その数は一億百余人、拝礼をすすめる領主の声によって、皇帝をたたえる声が天にまで響く。
さあ、目の前の宮殿をご覧ぜよ。
庭の砂は金銀の玉をならべて敷き詰め、幾重にも重ねられた錦が敷かれている。
扉は瑠璃、橋げたはシャコ貝の貝殻で飾られ、瑪瑙の橋が渡された池のほとりに鶴と亀が遊ぶ。
蓬莱山と見まごうばかりの美しさ、これも全て皇帝の徳によるもの。ありがたいことである。

天子様に奏上いたします。
なにごとであるか。
毎年のうるわしきためしとして鶴と亀に舞を舞わせ、その後月宮殿にて舞楽を催されるのがよろしいかと存じます。
よきに。

亀は万年の歳月を生き、鶴も千年の時を重ねるもの。
千代なる御代の先例として、数あるものの中からいったい何を引こうか。
引くものは数々あれど、正月の恒例、子の日に引くのは姫小松。
皇帝の御治世に匹敵する齢の丹頂鶴は、羽をたおやかに動かしながら、千年の時を舞い遊ぶ。
池のみぎわには呉竹が青々と茂り、緑毛を背負った亀は、今日も穏やかに万年の時を過ごす。
安らかな君の御代を敬い申し上げて、鶴と亀が長寿の齢をお授け申し上げると、
皇帝も深く感じ入られたか、舞楽を奏してお舞いになった。

月宮殿で行われる舞楽は、さながら月の宮殿で観た白衣の天人の舞のよう。
その白き袂は季節を移して色とりどりに美しく、春の花のような袖はいつしか秋の紅葉のように、
そして冬の雪景色のように、また白くひるがえる。
殿上人たちが霓裳羽衣の曲を演奏すると、皇帝は、
「山川や草木をはじめとする国土のすべてが豊かになり、永遠に栄えていくように」
とお舞いになり、それを機に官人や駕輿丁はみこしを進め、
皇帝はその長寿を象徴する長生殿に、めでたくお帰りになったのだった。



【鶴と亀】

〔鶴〕
冬鳥として渡来する大型の鳥で、沼地や平原などに群棲する。
古くは日本各地に留生していたと思われるが、現在では限られた地に冬鳥として渡来するほかは稀。
中古以後、中国の影響で神仙の乗り物とされ、また千年の寿命を保つ瑞鳥として尊ばれるようになる。
歌題・画題としては、頭頂部が赤い丹頂鶴(タンチョウヅル)が好まれ、松や亀と合わせて描かれることが多い。
和歌に詠まれる場合は一般に「たづ」と読む。
ただし、和歌や絵画に多く描かれる松林を飛ぶ鶴や松の枝に止まる鶴は、
実際のツル科の鳥の生息域とは異なり、古歌や絵の「つる(たづ)」がツル科の鳥のみを指しているかは不明。
鷺などの異なる種の鳥を含めて「鶴」と総称していたか、めでたいもののとりあわせとして創作的に描かれた
可能性もある。
鶴は食用としても扱われ、江戸時代には、正月、将軍が捕えた鶴を禁中(宮中)に献じるならわしがあった。
また、庭園で鶴を飼育することもあった。

〔亀〕
人に危害を加えず、動きが緩慢でユーモラスであることからか、古くから人に親しまれたは虫類。
『古事記』には亀に乗った神が登場し、既に亀が神聖化されていたことが分かる。
また、『今昔物語集』などの説話集には、亀が助けてくれた人間に恩を返す話(報恩譚)が伝わる。
この亀の報恩譚と、『日本書紀』や『万葉集』に見られる古代の浦島伝説が結びつき、
近世(江戸時代)前期に御伽草子『浦島太郎』が成立する。
古来長寿の象徴として、鶴とともに扱われることが多いが、実際の寿命は30~50年ほどの種が多い。
「みのがめ」といって、甲羅に藻がついて尾のようになったものが特にめでたいとされた。

〔鶴と亀のとりあわせ〕
「鶴は千年、亀は万年」という成句は、
上記の御伽草子『浦島太郎』や近松門左衛門作『雪女五枚羽子板』に確認でき、
少なくとも近世前期には言われていたことが分かる。古く鶴と亀をとりあわせた話には、
『今昔物語集』「巻五第二四 亀、鶴の教へを信ぜずして地に落ち、甲を破れる事」※1がある。
これは天竺(インド)部の話だが、同様の話型で鶴を「雁」としている諸書もあることから、
「鶴と亀」という取り合わせが特別意識されたものではないと考えられる。
和歌では、『古今和歌集』賀之歌の、
「鶴亀も千年(ちとせ)ののちは知らなくに飽かぬ心にまかせはててむ」(355番・在原滋春)※2
に、鶴亀の取り合わせ、鶴亀=千年の長寿という考えが表現されている。

※1のあらすじ
干ばつの時、亀が鶴に助けを求める。鶴は亀を水のあるところまで運んでやると請け負うが、
くちばしで咥えて運んでいる途中では、決して話しかけてはいけないと教える。
亀は話しかけないことを約束するが、初めて見る空からの眺めに感動し、うっかり鶴に「ここはどこだい?」と
尋ねてしまう。鶴も思わず返事をしてしまい、地に落ちた亀は甲羅にヒビが入ってしまった。
(結末を「死んでしまった」とする本もある)

※2の現代語訳
長生きだと言われる鶴と亀だって、千年の後のことは分かりませんよ。あなたの命がどれほど長かろうと、
鶴亀よりは短いのでしょう、私がそれに満足することはありません、どうか私の心のままにさせてください。



【謡曲「鶴亀」】

作者不明。初番目物(脇能)。
特に典拠のない「作り能」だが、曲の終盤で玄宗皇帝が「霓裳羽衣の曲」を舞うくだりは、
『十訓抄』等に伝えられる、玄宗が月の都で聴いた楽をもとに霓裳羽衣の曲をつくった、
という伝承をもとにしていると考えられる。
なお現在の観世流などでは、前半が長生殿の場面、中盤の舞を舞う場面が月宮殿の場面となっているが、
古写テキストでは、長生殿に還御するまではすべて月宮殿の場面として描かれているとのこと。
(『能を読む』「鶴亀」小誌による)

(あらすじ)
古代唐土の宮廷では、新春の節会が行われている。
玄宗皇帝が大臣や従者を従えて登場すると、
大臣たちは、皇帝への参賀のために集まったおびただしい数の殿上人の様子や、
長生殿の壮麗な様子をほめたたえる。
毎年の嘉例にしがたい、月宮殿において長寿の象徴である鶴と亀に舞を舞わせる。
鶴と亀が舞い、皇帝に永遠の齢が献じられると、感動した皇帝も自ら霓裳羽衣の曲を舞って国の繁栄を祈り、
やがてみこしに乗って長生殿へ帰って行った。



【語句について】

青陽(の春)
 五行説で青は春にあたることから、「青陽」は
 1.春の異称。初春にいうことが多い。 2.春の光、陽光。 3.春の景色、ながめ。
 ここでは1で、「青陽の春」は正確には重複表現になるが、修飾的な言い方として用いられている。

四季の節会の事始め 
 「節会」は、重要な公事のある日に、五位または六位以上の諸臣を集めて、天皇が出御して行った宴会。
 元日・白馬(あおうま)・踏歌(とうか)・端午などの恒例のものと、
 立后・立太子などの臨時のものがあった。
 ここでは「四季の節会」(四季ごとにめぐってくる節会)なので恒例のもの、その「事始め」なので
 新春を祝う節会のことをさす。

不老門
 1.中国・洛陽の城門のひとつ。「不老長生」の取り合わせで、長生殿(後述)とともに詩歌に詠まれる
 ことが多い。
 2.平安京大内裏の豊楽院の北面にある大門の名。
 3.江戸時代、江戸城の北面にある門や、島原遊廓の大門などを1.に例えていう。
 ここでは1。なお「不老門にて日月の」は、
 「長生殿の裏には春秋富めり、不老門の前には日月遅し」(原漢詩、慶滋保胤、『和漢朗詠集』所収)
 に基づく表現と思われる。

日月
 1.太陽と月。
 2.象徴的、比喩的に、真理・正義。
 3.つきひ、年月。
 前項で掲げた『和漢朗詠集』所収の漢詩では2の意だが、本曲中では後に「光」と続くので、1の意が適切。
 ただし唐宮廷の年中行事で、実際に皇帝が日・月を拝する儀式があったかは不明。


 1.天皇、天子。 2.主君、主人。 3.貴人をさしていう語。このお方。
 4.(人名・官名の下につけて)敬意を表す。  5.遊女。
 また代名詞として、対称の人代名詞。あなた。
 ここでは1で、シテである皇帝をさす。

叡覧 
 天皇や上皇がご覧になること。天覧。

百官卿相
 「百官」はもろもろの役人。内外の諸官。
 「卿相」は天皇をたすけて政治を執る人。太政大臣、左・右大臣、内大臣および大納言、中納言、参議など。
 全体で、多くの役人。

袖を連ぬ
 集まって居並ぶ。

拝をすすむる 万戸の声
 「拝ををすすむる」は拝礼を勧める、の意。
 「万戸」は1.多くの家、すべての家。 2.一万個の戸数のある領土、またその領主。
 ここでは1・2のどちらでも解釈可能。
 「天子に拝礼を勧める万戸の領主の声によって」(『能を読む』現代語訳)
 「天子への拝礼を勧める声が、多くの家々であがり」(『新全集 謡曲集1』現代語訳)

おびただし
 1.数がはなはだ多い。  2.程度はふつうではない、はなはだしい。
 3.さわがしい、大騒ぎである。  4.はなはだ盛んである、非常に立派である。
 ここでは「声」について言っているので狭義には3ととれるが、
 多くの人が皇帝を讃えて拝礼するさまでもあるので、広く4で解釈する方が適当か。

〔庭の砂は……蓬莱山も余所ならず〕
 壮麗な宮殿の様子を描写した詞章。
 「金」「銀」以下、仏教で「七宝」と呼ばれた宝玉に例えて、宮殿のさまを賛美している。
 七宝の数え方には諸々あるが、「金・銀・瑠璃・玻璃・蝦蛄・珊瑚・瑪瑙」が一例として挙げられる。
 七宝をもって邸宅や宮殿のさまを描写するのは慣用的な表現と見られ、
 下に示すように先行文芸作品にも類似の表現が散見する。
  「金銀、瑠璃、車渠(しゃこ)、瑪瑙の大殿を造り重ねて、四面めぐりて、……」(『うつほ物語』「吹上上」)
  「庭ニハ金銀ノ沙ヲ蒔、池ニハ瑠璃ノソリ橋、溝ニハ琥珀ノ一橋ヲ渡シ、馬脳ノ立石、
  珊瑚ノ礎、真珠ノ立砂、四面ヲ飾レリ。」(『源平盛衰記』「巻第十一 経俊布引ノ滝ニ入ル事」)

敷妙の 
 (玉を連ねて)「敷く」と、枕詞「敷妙(しきたへ)の」を掛けた表現。
 「しきたへの」は「枕」「床」「衣」「たもと」「袖」「黒髪」などを修飾する枕詞だが、
 ここでは続く「(五百重の)錦」にかかる。

五百重(いほへ)の錦
 幾重にも重なった錦。

硨磲(しゃこ)
 シャコ貝科の二枚貝の総称。厚くて白色の光沢のある貝殻が装飾品として重用された。七宝のひとつ。

行桁(ゆきげた)
 橋のかけられた方向に沿って縦に渡した桁。はしげた。

瑠璃
 赤・白・緑・褐色などの縞状を呈する玉髄。七宝のひとつ。

汀(みぎは)
 元は水際の意。陸地の、水に接するところ。水のほとり、水ぎわ。

蓬莱山
 蓬莱とも。
 1.中国の神仙思想で説かれる仙境のひとつで、渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海中にある島。
 不老不死の仙人が住むと伝えられるところ。転じて、富士山、熊野、熱田神宮、江戸城、台湾島の異称。
 2.蓬莱山をかたどった台上に、松竹梅、鶴亀、尉と媼などを飾って、祝儀や酒宴の飾り物としたもの。
 ここでは1。

余所ならず
 「余所」は1.ほかの場所、遠い場所。 2.直接関係のないこと。他人のこと。
 直訳では「余所ならず」で「ほかの場所ではない」だが、意訳的に「少しも変わらない、見まごうばかりだ」。

君の恵みぞ ありがたき 
 蓬莱山と見まごうほどに壮麗な宮殿は、皇帝の恩沢によるものだ、とことほぐ詞。

如何に奏聞申すべき事の候
 ワキである大臣の台詞。申し上げます、奏上いたします、の意。
 「いかに」は、ここでは相手に呼び掛ける時に用いる感動詞。
 おい、なんと、さて、の意だが、ここでは訳出しなくても可。
 「奏聞」は臣下が天皇に申し上げること、奏上すること。

〔奏聞とは何事ぞ/ともかくもはからひ候へ〕
 ともにシテである皇帝の台詞。
 「奏聞とは何事ぞ」は謡曲「鶴亀」にはなく、長唄で新たに挿入された歌詞。

〔毎年の嘉例のごとく……奏せらりょうずるにて候〕
 大臣の台詞。

嘉例
 1.めでたい先例。吉例。 2.通例。

鶴亀を舞はせられ
 「せ」は使役の助動詞「す」未然形、「られ」は尊敬の助動詞「らる」連用形。
 「鶴と亀に舞をお舞わせになり」。

月宮殿
 1.元は仏教語で、月にある月天子の宮殿。七宝によって飾られた七重の垣に囲まれ、
 金銀瑠璃の楼閣から成るという。転じて、月の都、月の世界。月光殿とも。
 2.1に例えて、皇居、皇帝の住まいのこと。
 3.江戸吉原の遊里の異称。特に八月十五日(月見)、九月十三日(後見の月)の紋日の吉原をさしていう。

舞楽を 奏せらりょうずるにて候 
 「舞楽」は舞を伴う雅楽。
 正しい歴史的かなづかいでは「奏せられうずるにて候」、
 「奏す」=演奏する、「らる」=尊敬の助動詞未然形、「うず(むず)」=適当の助動詞連体形で、
 「舞楽を演奏なさるのがよろしいでしょう」の意。

〔亀は万年の齢を経 鶴も千代をや重ぬらん〕
 この部分の旋律は、先行する長唄「初咲法楽舞」(宝暦十三年(1763)江戸市村座初演)の引用であることが
 指摘されている(小塩さとみ氏参考文献参照)。

千代のためしの数々に 何をひかまし姫小松 
 「子の日する野辺に小松のなかりせば千世のためしに何をひかまし」(『拾遺和歌集』巻一・二三壬生忠岑)
 に基づく表現。
 「ためし」は例、先例。
 正月最初の子の日、野原に出かけ小松を引き抜いて長寿を祈る「小松引き(子の日の遊び)」という行事が
 行われていた。

齢に比ふ
 次の「丹頂の鶴」の寿命(齢)が、前の「千代」に匹敵する、という意か。

丹頂の鶴
 大型で羽毛が純白、頭頂部が赤(丹)色の鶴のこと。

羽袖
 袖を羽にたとえていう語。
 ただしここでは前の「鶴」について言っているので、羽を袖に見立てていう語。

たをやかに(たをやかなり)
 1.物の姿・形がしなやかである。やわらかい感じである。
 2.立ち居振る舞いや性質がしとやかで、やさしい。

みぎり
 元は「水限(みぎり)」の意で、雨滴の落ちるきわ、またそこを限る場所をさす。
 1.軒下などの雨滴を受けるために石や敷瓦を敷いたところ。
 2.1から転じて、庭、境界。
 3.あることが行われる時、またあるものの存在する時(入港のみぎり、など)。
 4.水辺、水際。
 ここでは池に棲む亀についての章句なので、4.で解釈するのが妥当か。

呉竹 
 「呉」は中国伝来の意で、竹の名。淡竹。葉が細く、節が多い。
 特に、清涼殿(日本の平安京内裏の殿舎のひとつ)の東庭に植えてある竹のことをさす。
 なお「呉竹の」は「ふし(ふし・よ)」「うきふし」「伏見」「世」「夜」などにかかる枕詞だが、
 本曲では合致しない。

みどりの亀
 甲羅に緑の苔(毛)が生えた長命の亀をさすか。
 典拠の謡曲「鶴亀」では「何をひかまし 姫小松 緑の亀も……」という流れで、
 松の色からの連想で「緑」が導かれている。
 「丹頂の鶴」と対になる語。

棲めるも安き君が代を 
 文脈の上では、前に登場した亀が池で安穏と暮らしている、という意味だが、
 同時に臣民が穏やかに暮らしている意味も含めて「素晴らしい皇帝の治世を」とことほぐ。

仰ぎ奏でて
 正しくは「仰ぎ奏して」か。
 鶴と亀が、素晴らしい皇帝の治世を敬い申し上げて。

齢を授け奉れば
 鶴と亀が皇帝に対して、長寿の命をお授け申し上げたので。

御感
 天皇などが、物事に感心・感動すること。おほめ。

白衣の袂 
 月の宮殿には、白衣の天人と黒衣の天人がいた、という「白衣黒衣の天人」伝説に基づくか。
 それぞれ十五人ずついて、計三十人のうち十五人が毎日舞い、その人数によって月の満ち欠けが決まる、
 すべて白衣の天人の舞う日が満月だ、というもの。
  「十二人の妓女舞ふ。おのおの白衣を着たり。」(『十訓抄』「十ノ六十四」)
  「白衣黒衣の天人の、数を三五に分って、一月夜々の天乙女、奉仕を定め役をなす」(謡曲「羽衣」)

色々妙なる
 「色々」は1.さまざまの色、とりどりの色。 2.さまざま、あれこれ。
 「妙なる(妙なり)」は、1.神々しいほどに優れている、霊妙だ。 2.上手だ、巧妙だ。 の意。

花の袖/紅葉の羽袖/雪の袂
 さまざまに変化する舞のさまを、春の花、秋の紅葉、冬の雪に例えていうか。
 「花の袖」と「紅葉の羽袖」が対で、「雪の袂」は美しく舞う姿を「廻雪の袂」ということに基づく、
 という見方もある(新全集『謡曲集一』頭注)。

薄紫(の雲)
 「衣も薄(し)」と「薄紫」を掛けた表現。
 「紫の雲」には、1.極楽にたなびくというめでたい雲、瑞雲。 2.皇后の異称。 の意がある。

雲の上人
 一般に貴族の中で位の高い殿上人のことだが、「薄紫の雲の上人」で天人の意もきかせるか。

霓裳羽衣の曲
 「霓」は虹のこと。「霓裳羽衣」は虹のように美しい裾をひいた裳裾と羽衣。天人や仙女などの衣。
 中国の楽曲のひとつで、玄宗皇帝が天人の音楽にならってつくったという曲。
 また、玄宗が月の都に遊び、そこで仙女たちが舞い踊る様をみて、それを楽工につくらせたとも伝わる。

山河草木国土豊かに 千代万代
 皇帝が、国の繁栄とその永続を祈って舞う詞。
 「山川や草木に至るまで国土のすべてが豊かに、千年も万年も栄えますように」の意。

官人駕輿丁(かよちょう)
 「官人」は官吏、役人のこと。庁官や役職を限定してさすこともあるが、
 ここでは皇帝に付き随う役人全体を表していると思われる。
 「駕輿丁」は、貴人の駕籠や輿を担ぐことを仕事としている者。

御輿
 ここでは、皇帝が乗る輿(こし)のこと。

長生殿
 「君の齢も長生」と「長生殿」を掛けていう。
 中国・唐代の宮殿の一つ。華清宮の中の一つで、太宗が驪山(りざん)に設けた離宮。
 玄宗が楊貴妃を伴って来訪したことで有名。

還御
 天皇、法皇、三后(太皇太后、皇太后、皇后)が、出かけた先から帰ること。
 転じて、将軍や公卿が出先から帰ることもいう。
 ここでは皇帝が、舞楽を舞った月宮殿から長生殿へ戻ること。



【成立について】

嘉永四年(1851)十二月初演。
作曲十代目杵屋六左衛門。
歌詞は大部分が謡曲「鶴亀」に拠るが、一部は南部信侯(第三十九代盛岡藩主)によるものか。

※謡曲の長唄化について
『日本舞踊全集』「鶴亀」の解説は、本曲「鶴亀」が「謡曲摂取の節附」の最初とし、
十代目六左衛門が能楽の喜多流家元と懇意であったことを、本曲作曲の契機のひとつと推察している。
一方、長唄楽曲研究会の「長唄《鶴亀》」では、謡曲をほぼ全部長唄化したものには、
本曲より以前の文政十三年(1830)の「外記節石橋」があることを指摘している(稀音家義丸氏)。



【参考文献】

浅見和彦校注・訳『新編日本古典文学全集五一 十訓抄』小学館、1997.12
梅原猛・観世清和監修『能を読む四 異類とスペクタクル』角川学芸出版、2013.8
小沢正夫・松田成穂校注・訳『新編日本古典文学全集一一 古今和歌集』小学館、1994.11
小塩さとみ「長唄における音楽表現―「鶴亀」にみる間テクスト性と象徴技法―」
 『お茶の水音楽論集 特別号(徳丸吉彦先生古稀記念論文集)』お茶の水音楽研究会、2006.12
稀音家義丸『長唄雑綴』新潮社、2000
稀音家義丸『長唄閑話』新潮社、2002
國文學編集部『知っ得 古典文学動物誌』學燈社、2007.8
小山弘志・佐藤健一郎校注・訳『新編日本古典文学全集五八・五九 謡曲集一・二』小学館、1997.5
菅野禮行校注・訳『新編日本古典文学全集一九 和漢朗詠集』小学館、1999.10
長唄楽曲研究会「長唄《鶴亀》」『藝能』14号(通巻431号)藝能学会、2008.3  ほか
中野幸一校注・訳『新編日本古典文学全集一四 うつほ物語一』小学館、1999.6
松尾葦江校注『中世の文学 源平盛衰記二』三弥井書店、1993.5

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