松 竹 梅
天保十四年(1843)
作詞 不明
作曲 三代杵屋正次郎
「君が代松竹梅」

〈本調子〉
君が代は恵みかしこき高砂の 松の栄えや限り知られぬ 
いつまでも ふた葉はなれぬ姫子松 
子の日の遊びたをやかに 曳くや緑の色そへて げに豊かなる三保の浦 
たなびく霞花降りて 雪をめぐらす白雲の 
松吹く風か音楽の 声ぞ妙なる東歌 
入る日残れる松蔭に 天の羽衣稀にきて 色香ゆかしき 霓裳羽衣の曲をなし 
天津御空に乙女子が 鞨鼓を打って舞ふよ 迦陵頻伽も東遊びの駿河舞 
おもしろや

〈二上り〉
降りつむ雪を踏み分けて 夜半にや君が通ひ路も 井筒の陰のしのびあひ
人目の関は越ゆれども ゆるさぬものを下紐の

〈三下り〉
いつか逢瀬を一と筋に 言葉の露の玉章と 
くらべこしなる振分髪の長かれと ちぎり嬉しき閨の風 
洩れて浮名の立つ日もあらば 末の世かけて睦ましや 
梅の数々指折りそへて 数へかぞふる手鞠梅 空も長閑にやり梅や 
着なす姿の鹿の子梅 まだいとけなきとりなりも 小梅振よき八重梅の 
誰が袖ふれし匂ひ梅 包むに余る恋風に なびく心のしだれ梅 
咲きそめしより鴬の いつか来馴れてほの字とは はなれぬ中じゃないかいな 
それへ それそれそれ そうじゃえ 賑はしや 
栄えさかふる常磐木は 千歳の松の色かへぬ 
げにまた梅は花の兄 南枝はじめて開きそめ 薫りは世々に呉竹の 
いく万歳と限りなく 齢寿く鶴亀の 寿命長久繁昌と 尽きせぬ宿こそめでたけれ

(歌詞は文化譜に従い、表記を一部改めた)


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松竹梅は、古くからおめでたいものの代表格です。
邦楽の題材としても盛んに取り上げられており、「松竹梅」と題する長唄は複数あります。
そのため、本曲は唄い出しをとって「君が代松竹梅」と呼び、他曲と区別されています。

松竹梅の由来は、古く中国で、冬の寒い時期に友とするべき三つのもの、
「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」として取り上げられたことに始まります。
厳しい寒さの中、
色彩の乏しい世界で鮮やかな緑を保つ松、雪に負けずにまっすぐ伸びる竹、他に先駆けて花開く梅の
強さと美しさが讃えられたものでしょう。
松竹梅の取り合わせは中国で盛んに絵画に描かれ、これが日本にも伝わったものと考えられています。
日本での松竹梅は、それぞれが長命であることや、
鶴亀や蓬莱山など他のめでたいものと一緒に描かれる機会が多かったことから、
おめでたいもの、祝儀物としての性格を強めていきました。
本曲「君が代松竹梅」の歌詞は、松・竹・梅それぞれをモチーフとして取り上げながら、
植物そのものについてだけではなく、それぞれにまつわる説話や情景をさまざまに詠み込んでいます。
松の部分で歌われるのは、静岡県の三保の松原に伝わる羽衣伝説。
歌詞のあちこちに謡曲「羽衣」の中の言葉を配置することで、
たおやかでおごそかな天女の舞の雰囲気を表現しています。
竹の部分は、唯一「竹」という言葉が明示されません。
しかし、古来竹は雪との取り合わせで描かれたこと、
また井筒の素材として使われたことなどから竹を連想させ、
謡曲「井筒」の言葉を利用しながら、幼なじみ同士の竹のように真っ直ぐな純愛を描いています。
梅の部分は、日ごとに咲きほころぶさまざまな種類の梅の名を次々に挙げつつ、
手毬をつく少女のあどけないさま、そしてその少女が恋を覚えていくさまを歌います。
「梅づくし」の部分の歌詞は、江戸時代初期の歌謡を元に綴られたようです。
そして最後の詞章では、松竹梅の全てを詠み込んで、祝いの意を添える結びとしています。
おごそかな松、清々しい竹、可憐な梅。
おめでたいもの、の一言でまとめられてしまうことの多い松竹梅ですが、
本曲では謡曲や近世歌謡の言葉を利用しつつ、それぞれの魅力を描き分けています。



【こんなカンジで読んでみました】

我が君の代はありがたい御恵みにあふれ、高砂の松がいつまでも青々と長命なように、
限りなく栄え続けていくことだろう。

いつまでも芽吹いたばかりの双葉がくっついたままの幼い姫小松。
その小松を引き抜く子の日の遊びは、穏やかな正月の行事。
小松の緑も鮮やかだが、松の名所と言えば、実に豊かな三保の浦の眺め。
たなびく春霞の隙間から、ひらひらと花が降ってきた。
白雪のような雲が浮かぶ空に響くのは、松の枝を揺らす風の声だろうか。
いや、この妙なる調べは、天女が歌う東歌。
夕日がまだ輝く松の枝に天の羽衣を掛けたという天女が、世にも珍しく舞い降りて、
神々しくも美しく、月の世界の歌という霓裳羽衣の曲を奏でてくれる。
空を飛ぶ天女が鞨鼓を打ちながら舞っているよ。
その美しい声、美しい姿、まるで迦陵頻伽が天に遊ぶような、東遊びの駿河舞。
これはすばらしい。

降り積む雪にも負けず、天を目指してまっすぐ伸びる竹のように、
あなたはまっすぐな思いで、夜中になれば雪を踏み分け通ってきてくれますか。
幼い頃に遊んだ井筒の陰に隠れて忍び逢い。
誰にも見つからなかったよ。
そんな事を言われても、衣を解いてはあげなかったけれど、
いつかは逢瀬を、そんなあなたの一途な言葉が玉のようにきらめいて、嬉しくて、
あどけない振分髪が早く長くなりますように、早く大人になれますようにと思っていました。
だからあなたと結ばれて、閨の中で一緒に風を感じている今、私はとても嬉しいの。
人に知られて噂になったらどうする? その時は、末の世までも一緒に生きる、夫婦になろうね。

梅が次々ほころぶ頃に、指折り数えて手毬つく、まず花開く手毬梅。
春を迎えたのどかな空を見上げれば、あれはやり梅の白い花だよ。
鹿の子を着た姿は、鹿の子梅のように愛らしい。
まだあどけない様子だけれど、小さいながらも美しさが、八重咲きみたいにこぼれ出る。
誰の袖が触れて、匂い梅に香りが移ったんだい?
隠し切れない恋の風、しだれ梅は春の風に誘われて、揺れながら花ひらいた。
咲き始めたと思ったとたん、うぐいす来鳴きてほーほけきょ、
でもお前のところに来る人は、ほのつく別の言葉を鳴くようだよ。
離れられない仲だとは、おやおや、賑やかなことだ。

栄えを極める常磐木と言えば、千年も色を変えぬ松のこと。
また梅は花の兄。日の当たる枝から一番に咲き初め、そのかぐわしい香りを世々に拡げる。
節を重ねる呉竹は、幾年月も限りなく伸びていくことだろう。
鶴亀のように齢長く、久しく栄えゆく、尽きることのないこの家こそ、めでたいものだ。


【謡曲「羽衣」「井筒」】

本曲の詞章では、松の部分で謡曲「羽衣」の詞句が、竹の部分で『伊勢物語』二三段と、
それに基づく謡曲「井筒」の詞句が利用されている。

謡曲「羽衣」 三番目物。成立年代・作者未詳。
(あらすじ)
春の朝、三保の松原で、漁師白竜は松の木にかかった美しい衣を見つける。
持ち帰ろうとすると、天女が現れて、自分のものだから返してくれと頼む。
白竜ははじめ返すことを拒むが、羽衣がなくては天に帰れないと嘆き悲しむ天女の姿を見て、
舞楽を見せてくれたら返すと言う。
天女は羽衣を身につけ、駿河舞のいわれを述べ、三保の松原の眺めを讃え、
東遊の舞を見せる。やがて天女は春霞にまぎれて、天の彼方へ去って行く。

謡曲「井筒」 三番目物。世阿弥作。
(あらすじ)
旅の僧が大和国の在原寺を訪ねると、古塚に水を手向ける若い女に出会う。
女は僧に、これが在原業平の墓だと教え、業平と女の井筒にまつわる恋物語を語って聞かせてから、
自分がその女の霊であると明かして、井筒の陰に姿を消す。
夜が更けると、女は業平の形見の衣を身につけて再び現れ、業平を偲んで舞を舞うが、
夜明けとともに消えていく。



【語句について】

君が代
 主君が治める世。当世をことほいで言う語。

恵みかしこき
 「かしこき(畏し)は、高貴な対象に対する畏敬の気持ちを表す語。
 1.おそれ多い。もったいない。 2.身分・血筋などがきわめてすぐれている。高貴だ。
 3.立派だ。素晴らしい。 ここでは3の意。

高砂の松の栄えや限り知られぬ 
 高砂は現兵庫県南部、加古川河口部海岸付近の地名。
 「高砂の松」は高砂神社に生えている、黒松と赤松が接合した相生の松のこと。
 また謡曲「高砂」では、高砂の松と、国を隔てた住吉(住の江)の松は相生の夫婦であるとする。
 いずれにせよ、長命・相生・和合の象徴で、
 「君の代は高砂の松のように、その栄えは限りがない」の意。

ふた葉はなれぬ姫子松 
 「姫小松」は生えたばかりの小さな松(小松)のこと。
 「ふた葉」は最初に生える葉(子葉)のことで、それがまだ離れぬほどの幼い松を言う。
 なお松の子葉はいわゆる双葉の形ではなく、三枚以上が同時に出る多子葉である。

子の日の遊び
 正月最初の子の日、野原に出かけ小松を引き抜いて長寿を祈る行事。平安時代に宮中で行われた。

たをやかに(たをやかなり)
 1.物の姿・形がしなやかである。やわらかい感じである。
 2.立ち居振る舞いや性質がしとやかで、やさしい。

三保の浦 
 現静岡県静岡市、三保半島の面する海域。「みおのうら」とも。
 海岸砂丘に連なる松の防風林「三保の松原」で知られる。
 また御穂神社の前浜には、天女が羽衣をかけたという羽衣の松がある。

たなびく霞花降りて 雪をめぐらす白雲の 
 天女が舞い降りてくるさまの形容。
 謡曲「羽衣」の「虚空に花降り音楽聞こえ、霊香四方に薫ず」を元にした詞句。
 空から突然花が降ってくるのは、仏や菩薩が来現する時にあらわれる奇瑞。
 「雪をめぐらす白雲の」は、「青空に雪をめぐらしたような白雲」の意か。

松吹く風
 松の枝を揺らす風。またその風がたてる音。

音楽の 声ぞ妙なる東歌 
 「東歌」は1.東国地方の人々の歌。東国放言で詠まれているのが特徴。
 2.東遊びの歌。  ここでは2で、天女が歌い舞うさまを言う。

入る日残れる松蔭に
 「入る日残れる」は、夕日の輝きがまだ残っていること。
 謡曲「羽衣」では、天女が舞い降りたのは朝の出来事だが、
 天女の舞の歌に「落日の紅は、蘇命路の山をうつして」とあるのに拠った表現か。
 「松陰」は1.松の木がおおっているところ。松の木の木蔭(松陰)。
 2.水面などに映ってみえる松の木の影(松影)。
 3.松の木が日光などをさえぎって、地上などに出来る影(松影)。 ここでは1。

天の羽衣
 天人の衣装。元来は天人の資格を表すもので、飛行するためのものではないが、
 後世これによって天をかけめぐるもののように解された。

稀にきて
 謡曲「羽衣」の「君が代は天の羽衣稀に着て、撫づとも尽きぬ巌ぞと、聞くも妙なり東歌」
 による表現。
 元歌は『拾遺和歌集』賀・299番歌の
 「君が代は天の羽衣稀に着て撫づとも尽きぬ巌ならなん」。
 「きて」は「着て」「来て」両方を意を掛ける。

霓裳羽衣の曲
 「霓」は虹のこと。「霓裳羽衣」は虹のように美しい裾をひいた裳裾と羽衣。天人や仙女などの衣。
 中国の楽曲のひとつで、玄宗皇帝が天人の音楽にならってつくったという曲。
 ここでは広く、天女が舞う曲のこと。長唄メモ「鶴亀」参照。

天津御空  天、大空。

鞨鼓
 本来は雅楽で用いる打楽器の一つで、円筒に革を張ったものを台に据え、両面を打つものだが、
 ここでは能楽や歌舞伎舞踊で用いられる、上記を模した小型のものを指すと思われる。
 胸につけて打ちながら舞うもの。

迦陵頻伽
 仏教に伝えられる想像上の生物。上半身が人で下半身が鳥の姿をしており、声が非常に美しく、
 極楽浄土に住むとされる。
 転じて、仏の声、美しい声(特に女性の美しい声)の例え。
 また、音曲(や舞踊)に秀で、容姿に優れた女性を指して言うこともある。
 謡曲「羽衣」で、衣を奪われた天女が天を懐かしんで言う「迦陵頻伽の馴れ馴れし……」による。

東遊びの駿河舞 
 「東遊び」は平安時代から行われた歌舞の名。
 東国の風俗歌(くにぶりのうた)にあわせて舞うことからこの名がつく。
 元は東国の民間に行われていたものが、平安時代に宮廷に取り入れられ、
 貴族の間や神社などで行われるようになった。
 もっぱら神事舞として奏し、明治以後も祭礼の際などに行われる。
 一歌、二歌、駿河歌、(片下〔かたおろし〕)、求子歌(もとめごうた)、大比礼歌(おおひれうた)
 から成り、駿河歌と求子歌に舞がつく。
 「駿河舞」は駿河歌に合わせて舞われる舞。
 駿河国に天女が下って舞ったという伝説によるもの。

〔井筒の陰のしのびあひ……くらべこしなる振分髪も長かれと〕
 『伊勢物語』二三段「筒井筒」を下敷きにした詞章。
 昔、井戸の周囲で遊び合った幼なじみの男女がいたが、大人になって会うのを恥ずかしがっていた。
 男はぜひこの女を妻にしたいと思い、
 「筒井筒(筒井つの)井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」
 (幼い頃、井筒と背比べした私の背は、あなたに会わない間に井筒を追い越してしまいました。
  私は大人になりました、どうか結婚して下さい)
 と和歌を贈った。女はこれに対し、
 「比べこし振り分け髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき」
 (幼い頃はあなたと比べ合った私のおかっぱの振り分け髪も、肩を過ぎるくらい長くなりました。
  あなた以外の誰が、この髪を上げるのでしょう。あなたこそ、私を大人にする人です)
 と返歌をして、昔からの望み通り二人は夫婦になった、というもの。
 「井筒」は、木や石などでつくった井戸の地上の囲い、井桁のこと。
 能で作り物にする場合は竹を用いてつくることから、
 井筒説話=「竹」の連想につながったと思われる。

降りつむ雪を踏み分けて
 「雪中の筍」説話に代表される雪と竹の取り合わせを念頭に、竹を連想させるために雪を表出したものか。
 (雪中の筍……中国の説話。孝行者の孟宗が、冬に筍が食べたいという母の願いを叶えるため雪中の竹林
  で哀願すると、筍を得ることができた、というもの)

夜半にや君が通ひ路も
 前述『伊勢物語』二三段の続き、男と女は夫婦になったが、やがて男は他所の女に浮気するようになった。
 男が浮気相手の元へ通うのを見送った妻が、裏切られながらも男を心配して庭先で詠んだ歌
 「風吹けば沖つ白浪龍田山夜半にや君がひとり越ゆらむ」
 (風が吹けば白浪が立つように、龍田山には夜中になると盗賊(白浪)が出ると言います。
  そんなうら寂しい龍田山を、真夜中にあの人は一人越えているのでしょうか)
 を引用した表現。
 ただし本曲においては『伊勢物語』の内容とは関係がなく、
 人目を忍んで男が夜中に通ったことを言うのみ。

人目の関
 恋愛において、周囲の人の目が厳しいことを関所に例えて言う語。
 長唄メモ「勧進帳」参照。

ゆるさぬものを下紐の
 「下紐をゆるさぬものを」の倒置表現。
 「下紐」は肌着の上に結ぶ帯、下帯。また近世では、腰巻のことも言う。
 「下紐を解く」「下紐をゆるす」で、女性が男性に肌身を許すこと。
 また、自分の下紐が自然に解けると相手に想われているという俗信があった。

いつか逢瀬を一と筋に
 「いつか」を「いつかは」ととれば「いつかは逢瀬を重ねる仲になりたい」という男性の求愛、
 「いつのまにか」ととれば「いつの間にか逢瀬を重ねる仲になった」という相愛に解釈できる。
 本稿では次の「言葉の露の玉章」の内容と考え、前者で解釈した。

言葉の露の玉章と 
 謡曲『井筒』中「その後かのまめ男、言葉の露の玉章の、心の花も色添ひて」の引用表現と思われる。
 「言葉」「葉の露」「露の玉」「玉章」を重ねた表現で、「玉のような美しい言葉を連ねた(恋)文」の意。
 謡曲の中では、男が幼なじみの女に贈った「筒井筒……」の和歌を指す。
 ここでは、男の真情の籠もった言葉(手紙)の意か。

ちぎり嬉しき閨の風 
 「ちぎり(契り)」は1.固い約束。 2.男女が肉体関係をもつこと。 3.前世からの運命。
 「閨」は寝室の意なので、ここでは2。

洩れて浮名の立つ日もあらば 末の世かけて睦ましや 
 今は人目を避ける秘めた恋だが、いつか人に知られる日が来たならば、
 末の世までもともにする夫婦として睦まじく生きていく、といった意。

〔梅の数々……しだれ梅〕
 梅づくしの詞章。参考に近世初期の歌謡集『松の葉』巻二・四十四「梅づくし」の詞章を掲げる。
  君やらで誰にか見せんこの花の 色はさまざまさくら梅 やしほ紅梅あさぎ梅
  地は薄色に鹿の子梅 着なす姿はまだいとけなき 小梅ふりよき信濃梅
  品と拍子をとりどりに 数へかぞふる手まり梅 落ちてこぼれてはらはらと
  空に知られぬあられ梅 ふりさけ見ればをちこちの 野梅山梅咲きそめしより
  初音ゆかしき鴬の 羽風になびく枝垂(しだれ)梅 雪かあらぬか白梅の
  初花ごろも八重梅や 誰が袖ふれし匂ひ梅 春や昔の思はく深き……(後略)

数えかぞふる手鞠梅
 少女が数え唄を唄いながら手毬で遊ぶさまにかけて、ウメの一品種「手毬梅」を導く。
 手毬梅は花が群がって咲き、手毬のようになる梅。

やり梅
 梅の一品種。花は白く、やや紅色を帯びる。

着なす姿の鹿の子梅
 「着なす」は(多く上に修飾語を伴って)そのような様子に着る、の意。
 ここでは「鹿の子模様の着物を着た姿が梅の花のように美しい」の文意で解釈した。
 「鹿の子」は絞り染めの一種、鹿の子染め(鹿の子絞り)のこと。
 布を結びしばって染色し、子鹿の背の模様のような白い斑点模様を染め出す。
 「鹿の子梅」は未詳だが、小さく白い梅か。

まだいとけなきとりなりも 
 「いとけなき(いとけなし)」は幼いの意。
 「とりなり」は物事の様子、特に人のなりふり。人の動作や身なり、風貌など。
 ここでは手毬をつく少女のさま。

小梅振よき八重梅の 
 「小梅」はウメの変種。早生種で、深緑色でしなやかな小枝を多く分岐する。
 花は白く、香気があり多弁。甲州梅、信濃梅とも。また、「庭梅」の別名。
 「振よき」の「振(り)」は、
 ここでは名詞や動詞連用形の後について、その物事の様子や状態の意を添える(例:女ぶり)。
 「八重梅」は八重咲きの梅。

誰が袖ふれし匂ひ梅
 和歌「色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも」(『古今和歌集』春歌上・33)
 また「梅の花誰が袖ふれし匂ひとぞ春や昔の月に問はばや」(『新古今和歌集』春歌上・46)
 に基づいた表現。
 平安時代には、衣服の袖に香をたきしめる風習があり、暗闇の逢瀬が多かったこともあって、
 袖の香りが愛する人を思い出させる重要なしるしとなった。
 そのため「誰が袖(誰の袖)」という言葉は、暗に「愛する人の袖の匂い」=愛する人の思い出を示す。
 また、上記和歌にちなんで生まれた香袋に「誰が袖」がある。
 衣服の袖の形に作った袋二つを紐でつなぎ、袂落のようにして持ったもの。
 「匂ひ梅」はウメの一品種。花は八重で香りが高い。
 「誰が袖」の縁で「匂ひ」を導いたもの。

恋風
 恋の切なさが身にしみわたるのを、風にたとえていう語。身にしみるような恋心。
 ただし本曲の文脈では切なさの意はなく、
少女がいつしか恋心を覚えるさまを、花が開くのを誘う南風のような語感で用いられている。

しだれ梅 
 ウメの一品種。野梅系で枝が細長く下垂するもの。花には一重と八重がある。

〔咲きそめしより鴬の いつか来馴れてほの字とは はなれぬ中じゃないかいな〕
 女と男の恋仲を梅と鴬の取り合わせに例えた表現。
 恋を覚え始めた少女のもとにいつの間にか男が訪れ、恋仲になる様子を言う。
 和歌では「いつか来鳴きて」という表現が用いられることが多いが、
 ここでは「来馴れて」とすることで男女の仲であることを効果的に表している。
 「ほの字」は惚れていることの俗語的表現で、鴬の鳴き声「ほーほけきょ」の頭音を利用した表現。

〔栄えさかふる常磐木は……尽きせぬ宿こそめでたけれ〕
 松、梅、竹の順で松竹梅を全て読み込み、最後に鶴亀を加えて歌の結びの祝いの一節とする。

常磐木
 一年中葉が緑色を保つ常緑樹のこと。ここでは次の「千歳の松」のこと。

花の兄
 四季の花の中で他の花にさきがけて咲くことから、梅の異称。

南枝
 南の方に伸びた草木の枝。日に向いた枝。日当たりの良い枝。

薫りは世々に呉竹の 
 梅の香りが広く伝わる様子から「世々」を導く。
 「呉竹」は竹の名。淡竹。葉が細く、節が多い。
 「呉竹の」は「ふし(ふし・よ)」「うきふし」「伏見」「世」「夜」などにかかる枕詞であることから、
 「世々」から「呉竹」とつながる。

齢寿く鶴亀の 寿命長久繁昌と 
 鶴と亀は長命で、長寿を示す縁起物とされることから、歌の結びとする。
 長唄メモ「鶴亀」参照。



【成立について】

本名題「松竹梅乙女舞振」。天保十四年(1843)成立。
作曲杵屋彦次郎(のちの三代目杵屋正次郎)、作詞者不明。
彦次郎が十七歳の時の作品で、正次郎の処女作という。
「松竹梅」と題する長唄は複数あるため、唄い出しをとって「君が代松竹梅」と呼ぶ。

※渥美清太郎『邦楽舞踊辞典』(冨山房、1956.8)では「元治元年の作曲」とする。