忍 び 車
安政五年(1858)十月   
作詞 二代目 河竹新七・篠田瑳助
作曲 二代目 杵屋勝三郎

[外記ガカリ]〈本調子〉
それ西山高うして 夕日も早く落ち葉時 梢の風に雲立ちて 
運ぶ時雨の宵闇に 神の御燈ぞ尊とけれ
宇伽の魂の御社へ 通ひ車のわれからと 胸におもひぞ深草の 昔をしのぶ隠れ里[谺ノ合方]
老女の化粧ものすごき 雲間を洩るる月影を 見越が嶽や山里を
君にひかれてそこはかとなく 車のもとへ辿りつき
榻のはしがき幾夜さか 忍び車の恋衣 着つつ情けもいつしかに 
網代車のつれなさは 力車のちからにも 曳くにひかれぬ手車や
七の車に積みかねし 思ひを晴らして給はれと 恨みにしめる村時雨
濡れによる身のからかさに 峯吹きおろす木枯らしの 音もはげしくばらばらばら
散るは木の葉か あらしこが 打ってかかるを身をかはし 
くるりくるくる くるくるくる あなたこなたへ飛び廻る
風の手に 舞ふもみぢ葉も 果ては流るる谷川に
河鹿の声もかれがれて 行方いづくと立つや白波

            (歌詞は文化譜により、表記を一部改めた)


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男女の恋や結婚のかたちは、時代によってさまざまです。
古く、高貴な身分の人々の間では、男性が女性の元を訪れる妻問(つまどい)の形式が一般的でした。
当時は厳密な一夫一婦制ではなかったとはいえ、中には人に知られたくない秘密の恋もあったことでしょう。
人目を避け、闇夜を静かに行く牛車――これが本曲曲名の〈忍び車〉です。
つまり、通常忍び車に乗っているのは男性ということになります。
(女性が車に乗らないというわけではありません)
初演時の芝居では、舞台上の御所車の中に薄雲姫が乗っていたようですが、
本曲で切々と恋情を訴えている主体も、自分を深草少将と重ねていることからも男性と考えてよいでしょう。
小野小町に恋い焦がれた深草少将は、百日通えば思いを受け入れるという小町の言葉を信じて通いますが、
九十九夜目に力尽きて恋死した、という伝説が知られています。
恋の涙を流すのは、決して女性に限ったことではないのです。

本曲が初演された芝居の該当場面については、正確な詳細が分かりません。
本稿では語句の意味と合わせ、先学による解説書(長唄メモ「参考文献」参照)を参考に現代語訳しました。
また、稀音家義丸氏『長唄囈語』に詳しい解説があります。大変参考にさせていただきました。



【こんなカンジで読んでみました】

高くそびえる西の山陰に、夕日も早く沈んでゆく晩秋の頃。
梢を揺らす風に雲がわき上がり、時雨降る暗い宵闇を、神前の灯明がありがたく照らしてくださる。
宇伽の神社へ通う車の中、自ら思い初めた恋は胸に深まるばかり。
まるで深草少将のようだと、古い故事を思い起こすうち、あたりはうら侘しい隠れ里。
寒々と恐ろしげに雲間から漏れる月の光を見やりながら、見越が嶽のふもとの山里を、
あなたへの思いにいざなわれ、どこをどうたどったものか、車のもとへたどりついた。
車の榻に書き付けた恋の証は、もう幾夜を数えるのだろうか。
人目を忍んで通う車、衣のようにこの身から離れない恋心。
思い続けていれば、いつしかあなたの情けが手に入るのだろうか。
高貴な網代車のようにつれないあなたは、荷車を引くほどの力を込めても、動くことのないまるで手車。
どんな車にも積みきれない程の思いを、どうか叶えてくださいと、恨みの涙が降る時雨、
濡れないように身を寄せた傘に、山から吹き下ろす冷たい木枯らしが吹き付ける。
ばらばらと傘を激しく打つのは、風が散らした木の葉か。いや、雑兵が打ちかかってくるのだ。
身をかわし、くるくるとあちらこちらへ飛び回る。
風に舞い上がる紅葉が一枚、谷川へ落ちて行方も知れず流れていった。
夏を彩った河鹿の声はもう聞こえない。あの紅葉、どこへ行くのか、白浪の立つ川の果てまで。



【小春宴三組杯觴 こはるのえんみつぐみさかずき】

二代目河竹新七(河竹黙阿弥)、篠田瑳助による時代物。四幕六場。
謡曲「鉢木」の系統をひく脚本で、前に「碁太平記白石噺」、後に「鈴ヶ森」の要素を加えた
三つの世界を主題としたもの。
明治九年(1876)増補されて「初深雪佐野鉢木(はつみゆきさののはちのき)」として上演され、
その後も「佐野経世誉免状(さのつねよほまれのめんじょう)」の名題で復演されている。

〈謡曲「鉢木」〉
旅の僧が大雪にあい、民家に一夜の宿を求めたところ、その家の夫婦は大変貧しい様子ながら
こころよく僧を招き入れ、大切な鉢の木(盆栽)を薪にしてもてなした。
僧が宿主に名前を尋ねると、宿主は御家人・佐野常世のなれの果てで、一族の者に領地を奪われ零落したが、
もし鎌倉に何かあった時には一番に参上して討死する覚悟だと話した。
旅の僧は、実は鎌倉幕府の執権・北条時頼であった。
鎌倉に帰ったあと、時頼が諸国の軍勢に集合をかけると、常世は言葉通り一番に駆けつけたので、
時頼は常世の領地を取り返して与え、また薪にしてくれた鉢の木の梅・桜・松にゆかりのある三カ所の
領地を新たに与えた。

〈だんまりの場について〉
『続歌舞妓年代記』に馬士問答部分の、『黙阿弥全集4』に「佐野経世誉免状」の脚本が収録されるが、
だんまり部分の詳細は確認できない。諸本の解説は以下の通り。

・「四立目宇伽の神社前の場に用ひたもので傘をさして現れた桂中納言(権十郎)と、
御所車の中から出た薄雲姫(菊五郎)との色模様の口説から、上手辻堂から出る赤星太郎(海老蔵)との
三人のだんまりの場に使はれたのである」(『歌謡音曲集』)

・「場面は鎌倉御輿ヶ嶽、本調子で初め大薩摩があり、次の合の手で桂中納言の出、舞台の御所車の許へくると
薄雲姫実は狐が出る」
「あとは中納言が奴を相手に立廻りで終り、唄が切れてからだんまりになる」(『邦楽舞踊辞典』新版)



【語句について】

西山高うして 夕日も早く落ち葉時
 「西山」は西の方角にある山。
 西の山が高いので夕日が早く落ちる、という文意に「落ち葉時」を掛ける。
 「落ち葉時」は「落ち葉頃」とも。木の葉が枯れて落ちる晩秋から冬の季節。

雲立ちて  雲がわき立って。

時雨
 「過ぐる」から出た語で、通り雨の意。
 1.秋の末から冬の初め頃に、降ったりやんだりする雨。冬の季語。
 2.比喩的に、涙を流すこと。 3.ひとしきり続くものの例え(蝉時雨など)。
 ここでは1の意。なお後の歌詞「恨みにしめる村時雨」は2の意を含む。

宵闇
 1.陰暦16日~20日頃までの、宵のうち月がまだ出ないで暗いこと。また、その頃。
 2.夕闇。  ここでは広義に2。

神の御燈ぞ尊とけれ
 「神の御燈」は神社の灯明。
 係助詞「ぞ」の結びとして、形容詞「尊し(たふとし)」の已然形「尊けれ」は本来は不適切で、
 正しくは連体形「尊き」。
 (「尊ける」が正しいとする解説書が散見するが、これも形容詞の活用語尾として不適切)

宇伽の魂の御社
 「宇賀」とも。「うが」は「うけ(食)」の変化したもので、「宇賀の魂」は稲の穀霊を神格化したもの。
 のちに粟・麦・ひえ・豆など五穀の神、主食をつかさどる神霊となった。
 伊勢の外宮の祭神・豊宇気姫命(とようけひめのみこと)の霊とも。
 日本では稲作が基本であったことから広く農耕神をいい、稲荷信仰と結びついて狐に、
 また水神信仰との結びつきや「宇賀神」を異称とする弁財天との混同から蛇体に具体化されることもある。
 本曲中では、単に「稲荷神社」と解釈するのが妥当か。

通ひ車
 ある所に通っていく車。特に、女の元に通う男が乗る車。「通ひ来」の意味を含む。

われからと
 我から。自分から。だれのせいでもなく自分のせいで。

胸におもひぞ深草の 昔をしのぶ隠れ里
 「おもひぞ深し」と「深草」を掛ける。「深草」は深草少将。
 深草少将は伝説上の人物で、僧正遍照あるいは大納言義平の子・義宣をモデルとするとも伝えられる。
 小野小町のもとに九十九夜通ったが、あと一夜を果たせず恋が成就しなかったという悲恋物語で知られる。
 「しのぶ」には「偲ぶ」と「忍ぶ」の両方の意が掛けられており、
 深草少将の故事を思い起こさせる、人目を避けた隠れ里、の意。

老女の化粧 ものすごき(ものすごし)
 「老女の化粧」は冬の月を例えた語句。
 鎌倉時代に『源氏物語』の注釈書として成立した『紫明抄』によると、『枕草子』に
 「すさまじきもの、師走の月よ(夜)、おうなのけしやう」の一節があったという。
 ただし現存の『枕草子』「すさまじきもの」の段には該当する文はない。
 平安時代後期成立の芸能に関する書『新猿楽記』には、「齢すでに六十」の女の描写として
 「気粧を致すといへども、あへて愛する人なし。あたかも極月の月夜のごとし」とある。
 これらの文からは、「老女の化粧」と「師走の月」はどちらも面白みがなく誰も愛顧しないものと
 理解されていたことが推察できる。
 本曲の歌詞の「ものすごし」は恐ろしい、ぞっとする、もの寂しいといった意味なので、
 寂しげで寒々とする冬の月の形容と解釈した。

見越が嶽や
 「御輿ヶ嶽」とも。『神奈川県の地名』によれば、古書に長谷寺大仏より東の山とあり、
 大仏を見越すという意味かという。
 ここでは場所が鎌倉であることを示すと同時に、前の「月影を」見越すの意味も掛ける。

君にひかれてそこはかとなく
 「そこはかとなし」は1.どうということもない、それとははっきりしない。
 2.はっきりとした理由がない、とりとめもない。 
 ここでは月の光を頼りに薄暗い山路を歩くさまなので「どこなのかはっきりしない」の意。

榻(しじ)のはしがき
 「榻」は牛車に付属する道具の名。牛を放した時、牛に引かせる車前方部分を支える台にしたり、
 乗り降りの時の踏み台にするもの。四位以下の身分の者は使用が許されなかった。
 「榻のはしがき(端書)」は、女を訪ねた男が、榻にその回数を記した目印のこと。
 和歌「暁の鴫の羽根がき百はがき君か来ぬ夜は我ぞ数かく」(『古今和歌集』761・読み人知らず)
 の「鴫(しぎ)の羽根がき」を「しじのはしがき」と読んだことによる創作と考えられている。
 前述の深草少将の百夜通い説話と合わせて広まった。
 男の恋の熱烈さ、恋が思い通りにならないことの例えとされる。

幾夜さか  「さ」は「幾夜」につく接尾語。どれほどの夜か。

忍び車  人目を避けて、隠れて乗っていく車。

恋衣 着つつ情けもいつしかに 
 恋を、常に身を離れない衣に見立てた語。恋という着物、の意。
 在原業平の和歌「唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」を踏まえた表現。

網代車
 牛車の一種。竹や葦などを薄く細く削り、交差させながら編んだ網代を、車箱の屋形表面に張ったもの。
 屋形の構造や装飾によって数種に分かれ、殿上人以上の公家が家格や職掌、用途によって使い分けた。

つれなさ
 形容詞「つれなし」の名詞化。「つれなし」は
 1.冷淡だ、ひややかだ、よそよそしい。 2.素知らぬ顔だ、さりげない。
 3.関心が深くない、平気だ。 4.なんの変化もない、もとのままだ。 ここでは1。

力車  物を積んで人の力でひく車。荷車や大八車の類。

手車
 輦(れん)に車をつけ、肩で担がずに車で運行する乗り物。
 特に手車の宣旨を受けた皇太子・親王・内親王・女御・大臣など、身分の高い者が乗るもの。

七の車
 「七香車」から出た語か。
 七香車は、七種の香を入れた袋を四方に提げた車。あるいは、七種の香木でつくった車。
 貴族の豪華な車のこと。
 『長唄囈語』によれば「数多くの車にも積みきれない程の思い」(参考文献参照)。

あらしこ
 「荒子」。荒仕事を受け持つ下賎の男子の意。
 戦国時代からみえ、下級の雑兵や土工、大工、台所使用人などを称した。
 江戸時代には下作人をいうこともあるが、ここでは打ちかかってくる雑兵のこと。

河鹿の声もかれがれて 
 「河鹿」はカジカガエル。谷川の岩間に住み、美しい鳴き声を発する。夏の季語。
 「かれがれ(離れ離れ)」は、交際や訪れが途絶えがちなさま、疎遠なさま。
 和歌では、秋から冬にかけて草木が枯れていく「枯れ枯れ」と掛けて用いられる。
 夏には盛んに聞こえたカジカの鳴き声が、季節が進むにつれて衰え聞かれなくなっていくことをいう。

行方いづくと立つや白波
 「行方いづくと立つ」と「立つや白波」を掛けた表現。



【成立について】

安政五年(1858)十月、市村座初演。
「小春宴三組杯觴(こはるのえんみつぐみさかずき)」第一番目四立目のだんまり前に使われた唄浄瑠璃。
作曲二代目杵屋勝三郎、作詞(狂言作者)二代目河竹新七(黙阿弥)、篠田瑳助。


【参考文献】

石塚豊芥子編『続歌舞妓年代記』廣谷国書刊行会、1925.11
河竹繁俊校訂『黙阿弥全集4』春陽堂、1914.12
稀音家義丸『長唄囈語』邦楽の友社、2015.3
藤原明衡『新猿楽記』→山岸徳平ほか校注『日本思想体系8 古代政次社会思想』岩波書店、1979.3所収
ほか