松 の 翁
明治十年(1877)・十一年(1878)両説あり
作詞 三代目 杵屋正次郎
作曲 三代目 杵屋正次郎
〈本調子〉 
言の葉に 祝せめ松の深緑 翁の友となるぞ久しき 
凡そ千年の鶴は園生の松樹に巣篭り 又 亀の齢を万樹の主に比ぶれば 
歳も若木の花の笑み 雨露の恵みに時を得て
倭唐土(やまともろこし)各国の 千草万木おしなべて 皇国(みよ)も開化の花盛り

〈二上り〉 
四季の眺めも時知らぬ 雪は芙蓉の峰つづき
行逢ふ旅の人毎に 聞き伝へ来つ名に愛でて
見れば珍花に家路を忘れ 筆も尽きせじ庭の絶景 
世にも佳境の閑楽と 心残して帰るさの 土産(いへづと)にせよ園のひと節


(歌詞は文化譜に従い、正治郎自述本を参考に、表記を一部改めた)


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本曲は、三代目杵屋正次郎が、
静岡県富士市の大地主・松永氏の庭園を訪ねた際につくった曲と言われています。
〈松の翁〉とは、庭園に植えられた松の古木を擬人化して言うのと同時に、
〈松〉永家の〈翁〉のことも表し、その長寿を願い、祝う意味が込められているのでしょう。
翁というと老人をイメージしがちですが、
古典文学には四十歳を老いの入口とする考え方がありますから、
それ以上の年齢の男性はみな翁と呼ばれる可能性があります。
本曲で唄われている松永家の翁が当時何歳だったのかはっきりとしませんが、
必ずしも〈おじいさん〉とは限らない、ということになります。

さて、正次郎が「筆も尽きせじ庭の絶景」と絶賛した松永さん家の庭園は、
一体どのようなものだったのでしょうか。
富士市の松永家は、代々領主に代わって年貢の徴収を一手に引き受け、
武士ではなくとも名字帯刀を許されていた地元の名士でした。
明治に入ってからは金融業や養蚕業でさらに財をなし、県下有数の資産家となりました。
まさに見渡す限りが松永の土地、といっても過言ではないほどの富豪ぶりだったようです。
その屋敷と庭園の様子を描いた銅版画が『日本博覧図』という明治時代の図集に収められています。
また、富士市の資料には、庭園の写真も収録されていて、当時の様子を知ることができます。
写真は明治十年頃の撮影と言いますから、ちょうど本曲「松の翁」がつくられた頃であり、
まだまだ写真は珍しい時代。
正次郎が帰りたくなくなるほどだ、と褒めたたえた松永さん自慢の庭園は、
きっと当時から人々の注目スポットだったことでしょう。

本曲には、曲の題材だけでなく、歌詞の表現にも「漢語の多用」という特徴があります。
これは本曲が成立した当時、漢語が社会的ブームになっていたことの影響によるものです。
歌詞をただ眺めたり、単純に音読したりすると、やや硬い文章のように感じますが、
ゆったりとした三味線と唄が調和すると、語音が耳にさわることなく、
むしろ静かで趣のある庭園の風情をよく表します。
三代目正次郎という人は、時代の切り取り方が実にたくみです。
おそらく本人も、明治という新しい時代を常に意識しながら、作品をつくっていたのではないでしょうか。
この「松の翁」や「梅の栄」を聞くと、
私はどんな写真を見るより鮮烈に、
明治の人々の息吹を感じることができるように思います。



【こんなカンジで読んでみました】

さあこの唄で、一緒に祝おうではありませんか。
年月をかけて色を深めてきた庭の松は、主であるあなたの、いわば友人のようなものだ。
この庭、変わらぬ眺めの中で、ともに長い長い時間を過ごしてきたのだから。

総じて千年生きる鶴というのは、こういう庭の松の木にこそ、
巣を営むものですよ。
それに、万年生きる亀の歳と、この庭の木々の主であるあなたの歳を比べれば、
あなたなどまだ芽吹いたばかりの若木の花だ、実に若々しい。
恵みの雨を受けて、諸国さまざまから伝来したあの木もこの草も、すべてが一斉に花開いた。
文明開化のこのご治世と同様、今こそ新時代の花盛りと言うことでしょう。

季節ごとに景色は変わるはずなのに、季節を知らない雪をいつでも眺められるのは、
富士山とひとつづきの、この庭ならではの味わいだ。
東海道を旅した人のみんなから、この庭の噂を聞いて、はるばるやってきたのです。
庭園の名に心をひかれ、
実際に来てみれば、珍しい花々に目を奪われて、帰ることを忘れてしまう。
江戸のどんな高名な絵師だって、この眺めを絵に描くことなんてできませんよ、
きっとできないと思いますよ。
実に素晴らしい庭の中で、ただただ時間を過ごす楽しみ。
訪れた人は、帰る時には誰もが名残を惜しむでしょう。
庭で過ごしたひとときの思い出にこの唄を添えて、
せめてものお土産にしてくれたら、と思うのですよ。



【明治初期の漢語ブームについて】

庭の松の木を「園生の松樹」と唄い、美しい景色に遊ぶ楽しみを「佳境の閑楽」と唄うなど、
本曲「松の翁」は、歌詞に漢語を多用しているのが特徴である。
漢語とは一般に「漢字音から成る単語」のことで、
和語(日本固有の言葉、やまと言葉)と比べると音が固く、
唄い物の歌詞としてはなじみづらいことがある。
それにも関わらず、「松の翁」の歌詞が漢語を多く使っているのは、
本曲が成立した明治初期、漢語が社会的に大流行していたことによると考えられる。
明治初年の漢語の流行については、
石井研堂が『増補改訂 明治事物起原』「漢語の流行」の中で、
祇園の芸妓までがやたらに漢語を使うことを憂いた「都鄙新聞」の記事を紹介した上で、
  「明治維新後、日常の会話に、漢語を使ふことの大流行を見しは、奇なる現象なり。
  思ふに、これ維新の風雲に際会して俄に抬頭せる官吏は、
多く月落ち鳥啼いて的書生畑より出でし人々であり、その人々の使用語が、
優越語標準と認められそれを真似るのが天下一般の維新色を発揮せしに非ざるか……(後略)」
と述べ、流行の一因は、新政府の役人となった知識層が漢語を好んで使用したことの影響だとしている。
この石井研堂の指摘に加えて、
明治維新によって社会制度が大きく変わり、新しい社会生活に適した語が必要となったこと、
西洋の文物や概念を紹介するための訳語が必要となったことなどが、
漢語流行の背景として指摘できる。
漢語には本来、中国語が徐々に日本語として定着したものと、
日本で中国語らしく作られた和製漢語の二種類がある。
明治初年に流行した漢語としては、
新時代に即応するために新しく作り出された和製漢語が注目されやすいが、
それだけでなく、
時代の変革を担った知識層が慣れ親しんだ漢籍にある古代中国語や、
中国において西洋の文物を紹介した洋学書の中にある訳語なども多かった。
明治の初め、日本は西洋の文化や習慣、思想を積極的に取り入れたが、
これらのものを言葉として理解したり使用したりするには、
耳慣れない西洋の言葉よりも、字義を持つ漢語に翻訳する方が効率が良かったのである。
たとえば本曲中で使われている「開化」という語は、
漢籍では「化ヲ開ク」、すなわち「風化教導して世の中の進歩を図る」意で使われたが、
これが「civilization」の訳語として当てられ、流行した。
明治の初めに新しくつくられた和製漢語には、
憶測・解決・決心・予想・好奇心など、人の心、特に思考を表す語や、
前進・外出・接近・発表など、抽象的な作用や動きを表す語が多い。
新政府からの府令や、新しく登場したメディアである新聞は、新漢語を含む漢語を多用した。
そのため、これまでは漢語に親しく触れてこなかった庶民であっても漢語を学ぶ必要に迫られ、
漢語使用層が急激に拡大するとともに、社会的な漢語ブームとなったのである。



【富士市・松永邸について】

「松の翁」作曲の動機としては、『長唄名曲要説』は杵屋東吉郎師の「松の翁」譜本巻頭の書入れ
「駿河国富士駅ノ本陣、松永氏方ニ仮寓シ、其ノ富士見ノ離レ座敷ニ於テ霊峯富士ヲ眺メ乍ラ
作曲シタ」
を紹介しており、その他解説書も、概ねこの逸話を採用している。
「松永氏」とは、現在の富士市平垣に居住していた豪農・松永家のことで、
幕末から明治期にかけては静岡県内でも有数の名士であった。
本曲「松の翁」が成立した明治十一年(1878)当時の「翁」に当たる人物について、
『長唄名曲要説』は「松永安兵衛」、『日本舞踊全集』は「松永安彦」とする。
また萩原芳作『富士市発展のあと』には、
 「当時の松永家の当主は省耕翁で通称安兵衛といわれた方。
  現公民館長松永安衛氏の祖父に当たられる方である」
とある(稀音家義丸師のご教示による)。

旧平垣村は、元禄以降、旗本・日向小伝太の知行地であった。
しかし、日向家の財政の悪化に伴い、
松永家の当主が知行七か村の取締役に取り立てられ、名字帯刀を許されるとともに、
知行地の管理・経営を一手に任されるようになった。
松永家の屋敷には、旗本領の役所にあたる陣屋(小塚陣屋)が設けられ、
明治天皇の御東行の際には御座所(休憩所)として使用された。
天保期の覚書(遠藤文書)によると、
天保十二年(1841)、松永家の当主であった安兵衛は、息子である佐市郎に取締役を譲っている。
これは安兵衛が病を得たことによると言うが、
その後の病状や家督相続の有無までは確認できず、
1841年に病を得て取締役を譲った安兵衛が、1878年に息災でいたかどうか、判然としない。

松永家の邸宅および庭園の様子を描いた銅版画が、
明治二十五年に刊行された『日本博覧図』に収められている。
その図によれば、邸宅は乳牛舎や複数の米蔵のほか、養蚕施設も備えたものであり、
また庭園は、富士山を借景に、築地や池、太鼓橋や塔を配した大規模なもので、
敷地内には「ひと尾根はしぐるる雲かふじの雪 芭蕉翁」の碑、ガス灯と思われる照明も置かれていた。
植えられている木々には、松にまじってソテツに似た異国風のものも見られる。
『日本博覧図』が刊行された明治二十五年当時の松永家当主は松永安彦。
安彦は明治二十二年、新しく町村制が施行されて以来村会に議席を持ち、
郡会議員・県会議員・村長を歴任したのち、明治三十年には貴族院議員にも当選したほどの人物。
地主として富士市の発展に資材を投じてつとめたと伝えられている。
なお、現在松永家は富士市より転出しているが、
邸宅の一部は昭和五十四年に富士市に寄贈され、
現在富士市広見公園内ふるさと村(富士市立博物館横)に移築されている。
なお、『長唄名曲要説』にある、松永安兵衛の別称「省耕」については未見。



【語句について】

言の葉に祝せめ 
 「言の葉」はことば、または和歌。
 「祝せめ」は「祝す」に勧誘の助動詞「む」已然形がついたかたちで、
 勧誘をやや婉曲的に表現している。
 「庭の松も翁も、まるで友人のように共に長い時間を過ごしてきた、
 このめでたいことを祝おうではないか」
 といった意味。 

翁の友
 「松の深緑」=庭園の松を、「翁」=庭園の主の友人に擬人化した表現。

久しき 
 1. 長い時間が続くさま。久しい。 2.長い時間がかかるさま。
 3.しばらくぶりである、ひさしぶりだ。 4.あいかわらずである。 ここでは1.の意。

〔凡そ千年の鶴は……亀の齢を〕
 題名中の「翁」との関連で、謡曲「翁」の詞章
 「およそ千年の鶴は、万歳楽と謡うたり。また万代の池の亀は、甲に三極を戴いたり」
 を取り入れたものと考えられる。
 謡曲「翁」との関連については、
 『長唄名曲要説』が本詞章直前の合方に影響を与えた旨を指摘している。

凡そ
 「おほよそ」の略形。
 1.一般に、総じて。 2.まったく、ほとんど。 ここでは1.の意。

千年の鶴
 鶴は千年の寿命を保つと言われ、長寿の象徴とされた。
 参考「千年丹頂鶴、万歳緑毛亀」(文明本節用集、『新編日本古典文学大系58 謡曲集一』頭注より)

園生  植物を栽培する園。庭。

松樹  松の木。

巣篭り
 1.鳥などが巣の中にこもっていること。
 2.小松を束ねて作った松飾り。
 3.「鶴の巣籠り」の略で、尺八・呼吸の曲名、また歌舞伎下座音楽のひとつ。
 ここでは1.の意で、
 長寿の象徴である鶴が、庭の松の枝に巣をつくっている、というめでたい景物を想像している。
 一説に、3.の意を含み、曲中の合方にも「鶴の巣籠り」を効かせているという見方もある。
 (【その他】参照)

亀の齢
 前出の「鶴(の千年)」と内容上対になる表現。
 古来、亀は万年生きると言われ、鶴とともに長寿の生き物とされた。

万樹の主
 「万樹」は多くの木々、またすべての木々。
 庭園の樹木を指す言葉だが、前の「亀の齢」=「万」の意味もかかっている。
 「万樹の主」は、多くの木々が生える庭園の主、すなわち松永家の翁のこと。
 なお『長唄全集』『日本舞踊全集』の解説は、松永家の庭園の名を「万樹園」であるとしているが、
 この庭園名の典拠は不明。
 『日本博覧図』には「消日園」と記載されている(庭園の名であるか要検討)。
 
歳も若木
 「歳も若い」と「若木」を掛けた表現。
 「若木」は生えてから年を経ていない、若々しい木。

花の笑み
 花が美しく咲き開くこと。また、美人のほほえみの例え。
 本曲と同じ三代目杵屋正次郎作詞の「梅の栄」にも
 「しづけき御代に鴬の いつか来啼きて花の笑み」の歌詞がある。

雨露の恵み  雨と露の恵み。

時を得て(時を得る)
 好機にめぐりあって栄える。時流に乗る。

倭唐土(やまともろこし)各国
 倭は日本、唐土は中国だが、ここでは国を限定せず、広く国内国外を言う表現か。
 「各国」はいくつもの国のそれぞれ。
 『日本国語辞典』用例は『漂流記』(1863)以降で、使用時期について要検討。

千草万木
 1.さまざまの草木。 2.多くの草木。 3.すべての草木。

おしなべて
 1.すべて一様に。
 2.(「おしなべての」の形で)ふつうに、なみなみに。

皇国(みよ)も開化の花盛り
 「皇国(みよ)」は「御代・御世」と同義、『言海』では「御治世、又其御年数」。
 「開化」は文明開化の「開化」と「開花(の花盛り)」を掛けた表現。
 開化は、
 1.知識や文化がひらけ進むこと。英語Civilizationの訳語。
 単独でも、「文明開化」「開化文明」と複合した形でも用いられた
 (詳細は【明治初期の漢語ブームについて】参照)。
 2.俗語として、西洋風を気取ること。ハイカラ。
 幕末、特に明治初期の急激な西洋化現象をさす流行語。
 
四季の眺め  季節ごとの美しい景色。

時知らぬ雪
 山頂にいつも雪が積もっていることから、
 和歌では富士山のことを「時知らぬ山」と表現することがある。
 『伊勢物語』九段にある在原業平の和歌
 「時しらぬ山は富士のねいつとてか鹿の子まだらに雪のふるらむ」など。
 「時知らぬ雪」もこれに準ずる表現で、富士山のこと。

芙蓉の峰つづき
 「芙蓉の峰(芙蓉峰)」は、富士山の異称。単に「芙蓉」で富士山を指すこともある。
 「芙蓉」は本来アオイ科の落葉低木、あるいは蓮の花の異称だが、
 転じてそれらの花のように清楚で美しいものを言う(「芙蓉のかんばせ」「芙蓉のまなじり」)。

珍花  珍しい花。

筆も尽きせじ
 「尽きす」で一語、下に打消の語を伴って「なくなる、尽きる」。
 「じ」は打消推量の助動詞。

絶景  すばらしい景色、非常に美しい景色。

世にも
 副詞「よに(世に)」を強めたかたちで、
 1.いかにも、さも 2.(後に打消の語を伴って)断じて、決して。
 ここでは1.の意味。

佳境の閑楽と
 「佳境」は1.興味深い場面、面白いところ、優れた境地。 2.景色のよいところ。
 ここでは2.の意。
 「閑楽」は日本国語大辞典、古語大辞典、言海、大言海等に用例なし。
 「閑」には、1.しづか、のどやか 2.みやびやか、うるはしい 等の意味がある。
 「静かで、風雅な楽しい境地」(『日本舞踊全集』)、
 「静かに楽しむこと」(『長唄全集』)、「静かな楽しみ」(『長唄名曲要説』)等の注釈がついている。

心残して帰るさの
 「……さ」は接尾語で、ここでは移動性の意味を持つ動詞の終止形について、
 「……時」「……場合」の意の名詞をつくる。
 名残惜しくも帰る時の。

園のひと節
 直接には庭園について唄った本曲を指しているが、
 「節」には「機会、きっかけ」の意味もあることから、
 現代語訳では「庭園で過ごしたひととき」の意味も含めて解釈した。



【成立について】

三代目杵屋正次郎作詞・作曲。
「園中松樹調」「銘曲松乃翁」とも。
正次郎が、富士郡平垣村(現静岡県富士市)の名士・松永家を訪れた際、
その庭園の見事さに感じてつくったと伝わる。
松永家の庭園については【富士市・松永邸について】参照。

・成立年
『邦楽曲名事典』は作曲者自筆本から明治十一年、
『長唄名曲要説』は杵屋東吉郎師の「松の翁」譜本巻頭の書入れから明治十年とする。
ただし『長唄名曲要説』にも「明治十一年四月」とする自筆版本?の存在が紹介されている。

なお、2014年8月、筆者が名古屋市蓬左文庫で確認した正本は以下の通り。
・半紙本・版・四丁
・表紙「長唄 新曲 松乃翁」「菱屋小八郎」
・内題(二丁オモテ一行目)「園中松樹調(「まつのおきな」のルビ)
・刊記(四丁ウラ末)「明治十一年/寅四月/杵屋正治郎述」
 「明治十九年一月再版/板元/菱屋小八郎」



【その他】

曲中の合方について、
「総体に節附が琴唄による所が多い点から見ましても、お手本は鶴の巣籠りと思はれます」
(小谷青楓『増補長唄の心得』)、
「鶴の巣籠をつかった合方が面白い」(中内蝶二『長唄全集』)など、
「鶴の巣籠」の影響を受けているとする説がある。
ただし、『長唄名曲要説』は、これに否定的な見解を示している。



【参考文献】

石井研堂『増補改訂 明治事物起原』復刻版(初版明治40、増補版大正15)、1944
池上禎造「漢語流行の一時期―明治前期資料の処理について―」『国語国文』通号274、1957.6
(のち『漢語研究の構想』所収)
工藤美奈子「平成10年度寄贈「松永家文書」について」『調査研究報告№7』
→(インターネット公開記事:http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/hp/report/a6-1-2-7.html)
小山弘志・佐藤健一郎校注『新編日本古典文学大系58 謡曲集一』小学館、1997
佐藤亨『現代に生きる 幕末・明治初期漢語辞典』
田島優「明治時代の漢語」『日本語学』通号272、明治書院
土屋信一「明治期の漢字・漢語について―漢語の流行から考える―」『共立 国際文化』21号、2004.3
奈木盛雄・遠藤秀男監修『目で見る 富士・富士宮の100年』郷土出版社、1990
富士市史編纂委員会『富士市史(下巻)』富士市、1966
吉原栄徳『和歌の歌枕・地名大辞典』おうふう、2008
『日本博覧図』明治25,26年刊行
→若林淳之(解説)『静岡県明治銅版画風景集』羽衣出版、1991


※本稿作成にあたっては、稀音家義丸師匠より貴重な資料閲覧の機会を頂戴し、ご教示を賜りました。
 また、立教大学・加藤睦先生より、詞章読解に関してお教えを賜りました。伏して御礼申し上げます。



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