鳥 羽 絵
天保十二年(1841)七月
作詞 三升屋二三治
作曲 十代目 杵屋六左衛門

〈本調子〉 
どっこい〆たぞ しめたぞどっこい オットそこらは瓢箪で 押へてみても 
ぬらりくらり ぬらりくらり ぬるりとすべった とこまかしてよいとこな 逃がしゃせぬ 
わけも何やら絵にかいた 鳥羽絵といふも仇つきの 仇な文句で やってくりょ 
思ふ御方のお声はせいで 上がるお客の 面憎や 
私ははじめてそんな事 聞いて嬉しき初雁の 文にも釘のにぢり書 
見えぬ按摩や 瞽女の坊 巳待の晩の 暗がりが 
味な縁では アアあるまいか アアラあや獅子の十六文で 
九官鳥は見たれども 擂粉木に羽根が生えて 鳥羽絵はほんに我ながら オヤ馬鹿らしい 
いでや捕らえてくれんずと 足を伸ばして取らんとすれば 
鳥はついと飛んで逃げた エエあったらものを 
そばに有り合ふ釣瓶竿 狙ひすまして身づくろひ お前餌差か 知らねども 
私ゃ連木の鳥じゃもの ご縁ござらば今度今度 今度来てさしねえ をかしらし 
そりゃ来た 来た来た 行列揃へて 振り込め振り込め よんべも三百はり込んだ 
裸で道中がなるものか 
あれはさのサ これはさのサ よいよいよいよい よやまかせ 面白や 
たはれ拍子に浮かれ来て 瓢箪から駒が出た めっそなめっそな瓢箪で 
駒に打ち乗り しゃんぐしゃぐ 
浮きに浮かれて走り行く



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よく知られた物語を下敷きにした曲や、四季の情景の美しさを題材にした曲であれば、
細かい言葉の意味が分からなくても、聞くだけで十分に楽しむことができます。
その一方で、長唄の中には、予備知識がないとまるで不思議な言葉の羅列、
意味がまったくわからないままで終わってしまう曲もあります。
本曲「鳥羽絵」も、耳で聞いただけでは、ちょっと不思議な曲。
曲に込められたユーモアを楽しむためには、江戸の人々が親しんだ絵や言葉について理解する必要があります。
「鳥羽絵」とは、日常生活やよく知られたことわざなどを、風刺やユーモアをまじえて描いた戯画のことです。現代の一コマ漫画をイメージしていただくとよいかもしれません。
手足が長く、目が「・」や「-」で描かれたキャラクターのような人物が特徴的で、
江戸時代を通じて広く庶民に愛されました。
本曲に登場する「擂粉木に羽根が生え」というのも、鳥羽絵の画題の一つです。
「擂粉木に羽根が生える」とは、「ありえないふしぎなこと」の例えですが、
鳥羽絵では実際に擂粉木に羽根が生えて飛んで行ってしまい、
それをあわてて追いかける人の様子を面白おかしく描いています。
また、九官鳥は、江戸時代、両国広小路や下谷稲荷町にあった見世物小屋・珍物茶屋で人気を読んだ舶来の鳥。
カラスのようにまっ黒い鳥が、人の言葉を真似してしゃべる……、まさに“ありえない不思議な鳥”。
江戸時代の滑稽本などを見ると、九官鳥もまた「擂粉木に羽根が生えた」と表現されており、
本曲ではその2つをうまく重ね合わせて歌っています。
唄い出しの「瓢箪で 押へてみても」は、「瓢箪で鯰を押さえる」という禅問答に基づく画題のことです。
ただしこれは、鳥羽絵ではなく大津絵でさかんに描かれた画題でした。
本曲では、同じ戯画であることから歌詞に詠みこまれたのでしょう。
歌の結びは「瓢箪から駒が出る」という故事を用いて、唄い出しと同じ瓢箪できれいにまとめています。

本曲に描かれている人やものは、なんだかちぐはぐです。
初めてもらったラブレターは、開いてみればとんだ金釘流のへたくそな字。
祭りの暗がりで出会った二人……、でも按摩さんとごぜさんの恋に、暗がりは関係あるでしょうか?
大名行列の先で槍を振る奴さんは、槍を「振り込む」よりも、
昨夜「張り込」んで負けてしまった博打の方が気になる様子。
そんな、どこかさまにならないおかしみを、江戸の人は心から愛し、楽しんだのでしょう。
瓢箪から駒は出ない、でも、出たら面白いじゃん。
馬に乗って浮かれて走り去っていく誰かの姿からは、江戸の人の大らかなたくましさを感じます



【こんなカンジで読んでみました】

あっ。しめたぞ、大きななまず!
捕まえようと瓢箪で、おっと、ぐっと押えてみても、あら、ぬらくらして、ちょい、すべって、
なんだよもう、逃さないぞ、もう!
いやいや、瓢箪でなまずが捕まえられるワケなくないですか?
ま、ま、鳥羽絵ってちょっと、何描いてあるのか分かりにくいんですけど。
ここはこちょこちょっと色っぽい文句で、お姉さん、やっちゃってくださいよ。

「逢いたい人の声はしなくて、代わりに来るのは別の客。あんたなんてお呼びじゃないの、ふん、憎らしい顔」
「あなたの気持ちを初めて知ったの。うれしいわ、あなたからの初めての手紙、すごくうれし…字きたなっ」
按摩さんと瞽女さんの恋、巳待の夜の暗がりが、粋な縁となったとさ。…暗いの関係あるのかな。
「アアラ怪し」とネズミを踏んづけたのは荒獅子男之助、
こっちは四×四の十六文払って、舶来の九官鳥は見たんだけども、
鳥が人の言葉をしゃべるって、そんなことある? すりこぎに羽根が生えたじゃあるまいし、そんな鳥いる?
え、鳥羽絵には描いてあるの? ははは、ほんとに馬鹿らしいね。
そんな鳥がいるならば、俺のものにしたいじゃないか。
とにかく捕まえてやろうぞと、手を伸ばして、いや足を伸ばして捕ろうとすれば、
狙った獲物はついと飛んで逃げちゃった。ああっと、惜しいことをした。
ならばならば、そばにあった釣瓶竿を手にとって、狙いすまして身繕い。ね、今晩どう?
アラお兄さん、見ない顔だけどあんたは餌差?
悪いんだけど、私はすりこぎでできた鳥、じゃなくて、櫺子の向こうの女だから。
ご縁があったらまた今度、お店に来てちょうだいね?…って、振られたよ。笑っちゃうよ。
お、あっちからは大名行列が来たよ。おーい先頭の奴さんよ、はりきって槍を振り込みなよ!
とんでもねえよ、俺ァ昨夜も三百文振り込んですっからかんだよ、すっからかんで道中ができるかよぅ。
何だよ何だよ、どいつもこいつも決まらないね。かっこ悪くて、何だかおもしろいや。
リズムに浮かれて瓢箪振れば、ほら、駒が出た!
瓢箪から駒は出ないって? そうでもないさ。ここが鳥羽絵のいいところ。
出るはずもない駒が出たなら、ひらりと乗って、ひゃっほう!
あいつ、どこまで駆けていったんだろ。



【鳥羽絵】

鳥羽絵は、江戸時代の中頃から流行した漫画風の戯画のこと。
日常生活やよく知られたことわざなどを題材に、風刺やユーモアをまじえて描いたものが多い。
「鳥羽絵」という名称は、国宝である絵巻物「鳥獣戯画」の作者と伝わる鳥羽僧正覚〓にちなむものだが、
戯画という以外に直接の関係はない。
狭義にいう鳥羽絵は、京都で生まれ、宝永期(1704~11)に大坂の絵師・大岡春朴らが描いたもので、
 ・手足が長く誇張して描かれる
 ・目は黒丸か「―」文字式に簡略化される
などの特徴を持つ。
清水勲氏はこれら鳥羽絵の特徴をさして、
  「絵に「誇張」と「動き」が入ったことで近代漫画に近い表現を生み出し、人々に強烈な印象を与えた」と
   指摘している。
鳥羽絵ははじめ上方を中心に流行したが、江戸にも広まり、江戸時代を通じて庶民からの人気を得た。
また版本だけでなく、肉筆画や浮世絵としても描かれており、江戸では北斎、豊国、広重らも手掛けている。
時代が下り、描く者が増えてくると、先に挙げた特徴とはことなる画風の戯画も“鳥羽絵”と
呼ばれるようになり、“鳥羽絵”という語が戯画の総称として用いられるようになった。
この傾向は明治時代以降も続き、例えばフランス人画家・ビゴーが横浜の居留地で創刊した風刺雑誌
『トバエ』も鳥羽絵に由来する。
『トバエ』は鹿鳴館の表層的な欧化政策やノルマントン号事件の風刺画で知られる。
本曲および清元「鳥羽絵」の直接的な典拠としては、古井戸秀夫氏が山東京伝の『絵兄弟』を指摘している。
『新日本古典文学大系82』所収の『絵兄弟』「九番・兄 鳥羽絵」脚注では、
「摺子木に羽が生えて飛ぶ絵様は(論者注:鳥羽絵として)代表的」としているが、論者は未見である。



【語句について】

どっこいしめたぞ しめたぞどっこい 
 「しめた」は「占めた」。
 1.「占めたり」の口語形。手に入れた、我が物にしたの意。自分の思う通りに事が成ったときに発する
 喜びの声。
 2.掛け声。「こりゃきたどっこいしめたぞ、ト船を付、…」(『風俗砂払伝』、原本未見)
 ここでは2の意。

オットそこらは瓢箪で おさへてみても ぬらりくらり ぬらり ぬるりと滑った 
 「瓢箪で鯰(なまず)を押さえる」のこと。
 とらえどころのないこと、要領を得ないことの例えにいう。「瓢箪鯰」とも。
 元は禅の公案(参禅者に出す課題)のひとつ。
 室町時代の画僧・如拙が描いた「瓢鮎図(ひょうねんず)」で知られる。
 ただし、鳥羽絵を題材とする本曲では、
 安政二年(1855)に江戸で起きた安政の大地震後、大量に製作された鯰絵(なまずえ)が想起される。
 鯰絵は、「鯰が地震を起こす」という俗説に基づいて描かれた、鯰をモチーフとしたさまざまな構図の絵。
 この流行に先立って、大津絵の画題の中に「瓢鮎図」を戯画化したもの(猿が瓢箪で鯰を押さえる)があり、
 鯰絵にもこの大津絵をパロディ化したものが多くあった。
 鳥羽絵と同じ戯画の縁で歌詞の冒頭に置かれたものか。

とこまかしてよいとこな
 俗謡などの囃し言葉。長唄「まかしょ」解説参照。

わけも何やら絵にかいた 
 わけもよくわからないまま絵に描いた、の意か。

鳥羽絵
 【鳥羽絵】参照。

仇つきの 
 「仇つき」は当て字で、正しくは「徒付・婀娜付」。
 男女が一時の情を交わすこと。または、男女がたわむれあうこと。いちゃつき。
 恋心や浮気心で落ち着きのないさま。

仇な文句で 
 「婀娜な文句」が適切。
 「婀娜なり」は、1.(女性の)たおやかで美しいさま。なよやかなさま。
 2.(女性の)色っぽく、なまめかしいさま。特に近世後期には、粋な感じも含んで言った。

やってくりょ 
 『歌扇録』収録の歌詞では「やつてくれよ」。

思ふお方のお声はせいで 上がるお客の 面憎や 
 清元「鳥羽絵」では、「可愛い男のお声はせいで」。
 稀音家義丸氏『長唄雑綴』では、「当時流行のトッチリトンよりの由」とするが、原曲は未見。
 トッチリトンは俗曲のひとつであるトッチリトン節。
 江戸時代、文化・文政年間(1804~1830)に流行した。
 「逢いたいと思う人の声はせず、代わりにのうのうと登楼してくる別の客が憎らしい」という、
 間男を待つ遊女の心情をいう文句。

私ははじめてそんな事 聞いて嬉しき初雁の 
 「私ははじめてそんなこと聞い」た、という文脈に、「聞いて嬉しき初雁の」を重ねた詞章。
 「初雁」は、その年初めて北方から渡ってくる雁。秋の季語。
 和歌では「初雁の」で枕詞として、1.同音のくりかえしで「はつかに」、
 2.鳴きながら渡ってくるところから「泣き渡る」にかかる。

文にも釘のにぢり書
 手紙のことを「雁の使い」「雁の玉章」ということ(『長唄の世界へようこそ』「越後獅子」等参照)
 から、前の「初雁」を受けて「文」を導く。
 「釘」は、文字の下手なことのたとえ。悪筆が釘の折れたさまに似ていることから言う。
 「にぢり書」は、筆で紙を押さえつけて、にじるようにして拙劣な字を書くこと。また、その書いたもの。

見えぬ按摩や
 「按摩」は1.体をもんだり、さすったり、たたいたりして患部を治療すること。
 2.近世、1のもみ療治は盲人が業とすることが多かったことから、盲人のこと。ここでは2。

瞽女(ごぜ)の坊  
 1.盲目の女性。
 2.鼓を打ったり、あるいは三味線を弾いたりナドして、唄を歌い門付する女芸人。ここでは1。

巳待の晩の 暗がりが 
 「巳待」は「巳祭(みまつり)」の略。
 己巳(つちのとみ)の日の巳の刻(午前十時ごろ)に、寄り合いとして行う弁財天の祭。
 その時刻を待って弁財天に祈ると、弁財天の姿が現れ、それを拝んだ者は幸運に恵まれると言われた。
 「暗がり」は、その前夜をさす。
 『江戸名所図会』には、上野不忍池の弁財天の巳待の様子が「前夜より参詣群集す」と記される。
 また弁財天が女神であること、弁財天で有名な不忍池付近が出会茶屋の集まる男女の密会場所であったこと、
 前述のように夜通しの行事であったことなどから、
 「巳待」は色めいた印象も与える語である。

味な縁では アアあるまいか 
 「味」は、良い、好ましい、または面白みのある味わいのあるさま。
 「気がきいている」「しゃれている」「趣がある」「色めいている」「わけありげだ」などと訳される。

アアラあや獅子の十六文で 
 清元「鳥羽絵」からの引用。
 清元「鳥羽絵」は、大店の下男と台所に現れた鼠が登場する舞踊で、
 この詞章は同じく鼠が登場する『伽羅先代萩』の「足利家床下の場」のパロディ。
 「アアラあや獅子の」は、床下の場で仁木弾正が妖術で化けた鼠を踏みつける「荒獅子男之助」の名と、
 そのセリフ「アアラ怪し」をかけたもの。
 さらに「しし」に四×四の意を掛け、次の「十六文」を導く。
 「十六文」は、次の「九官鳥」がいる見世物(あるいは珍物茶屋)の代金。

九官鳥は見たれども 
 ムクドリ科の鳥。全長約30㎝、全身黒紫色で光沢があり、風切り羽に白い紋がある。
 原産地は中国・インドなど。
 オウムより人まねがたくみで、
 日本には江戸時代盛んに輸入され、見世物小屋や珍物茶屋などで親しまれた。
 「唐わたりの名鳥めいてう、鳥をごらうじておちゃをおあがりながらおやすみなされませ。
  おちゃ代わずか十二せん、孔雀鳳凰(ほうわう)の生どり、天狗の巣立、すりこ木にはねがはへて
  こはいろをつかいます」(滑稽本『旧観帖』2編下、十返舎一九、文化三(1806))
 を見ると、「九官鳥」=「すりこぎに羽根が生えた」の例えは本曲の他にもよく用いられたものか。

擂粉木に羽根が生えて 
 あり得ない、不思議なことのたとえ。
 「室町時代の『新撰犬筑波集』に「天狗にもなれるか羽の生えぬらん鞍馬の寺に古きすりこ木」とあって、
 このたとえが古くから行われていたことが知られる」(『故事俗信ことわざ大事典 第二版』)。

いでや捕らえてくれんずと
 「いでや」は感動詞「いで」+終助詞「や」、「いで」を強めて言う語。
 1.ためらいを含みつつ発言する時に用いる。いやもう、さてもう、なんとまあ。
 2.あり得る反対の可能性の否定を含めて発言する時に用いる。とにかく。
 3.相手の言葉をさえぎって発言する時に用いる。いいえ、いやいや。不満・反発の気持ちが強い。
 「捕らえてくれんず」は、「捕らえてくれよう」の意。

足を伸ばして取らんとすれば 
 本来ならば「手をのばして」というところを、
 人物の足を細く長く描くという鳥羽絵の特徴を含んで「足を伸ばして」と言い換えた表現。

鳥はついと飛んで逃げた 
 「ついと」
 1.動作が突然行われるさまを表す語。いきなり。ぷいと。
 2.動作がすばやく、身軽に行われる様を表す語。さっと。すっと。
 「ついとする」で、すばやく逃げる、駆け落ちする。
 3.細くまっすぐにのび出るさまを表す語。  ここでは2の意。

エエあったらものを 
 「あったら」は「あたら」と同。
 1.(体言のすぐ前におかれ、連体詞のようなはたらきを持つ一方、独立語としての性格も強い場合)
 そのまま空しく終わってしまうのはもったいない。惜しい。
 2.(連文節、または文の始めにおかれ、半ば独立語的に、半ば副詞的に用いられる)
 もったいないことにも、(まあ)。惜しいことにも。残念なことにも。
 ここでは2で、鳥を逃した餌差の心情。

そばに有り合ふ釣瓶竿 狙ひすまして身づくろひ 
 「有り合ふ」は、ちょうどそこにある。折よくその場にある。
 「釣瓶竿」は、釣瓶が取りつけてある竿。
 餌差が用いる竿としては鳥もちをつけた「もち竿」が一般的だが、『柳多留』所収の
 「釣瓶竿ひやりと思ふ雀の子」のように、釣瓶竿も餌差の道具として用いられていたと思われる。
 ここでは、遊女を口説こうとする客を餌差に見立てている。

餌差
 鳥差しともいう。 小鳥をもち竿などで刺して捕らえること。
 多くは鷹の餌とするための小鳥を捕ったため、餌差とも呼ばれる。
 江戸幕府の職制のひとつで、鷹匠の配下であり、大小の両刀または長刀一本を携えていた。

私ゃ連木の鳥じゃもの 
 「連木」はすりこぎのことで、「連木の鳥」は前出の九官鳥のこと。
 また、「連木」には「櫺子(れんじ)」を掛ける。
 「櫺子」は1.窓・欄間などに、縦または横に間隔を置いて細い材を取り付けた格子。
 2.格子の異称。 
 3.連子窓の略。ただし張出窓で、外側を櫺子にして内側に障子をたてたところ。娼家でいう。
 ここでは3で、「櫺子の鳥」で、廓に身を置く遊女であることをいい、後の断り文句につなげている。

ご縁ござらば今度今度 今度来てさしねえ
 遊女が自分を九官鳥にたとえ、餌差に見立てた客を断る文句。

をかしらし 
 何だかおかしい。

そりゃ来た 来た来た 行列揃へて 振り込め振り込め
 大名行列の先頭で奴が槍を「振る」さまと、「振り込め」をかけた表現。
 「振り込む」は、1.振って内へ入れる。勢いよく押し込む。
 2.預金する。金銭を払い込む。 の意。
 ここでは2で、後の詞につながり、博打に金をかけるの意。

よんべも三百はりこんだ 
 「よんべ」は「ゆうべ」と同。昨夜。
 「はりこむ」は、ここでは奮発して大金を投じること。全体で、昨夜は奮発して三百文を投じた、の意。

裸で道中がなるものか 
 上の博打の結果。負けて、賭けた三百文を失ってしまった様子。

あれはさのサ これはさのサ よいよいよいよい よやまかせ 面白や 
 歌謡の囃し言葉。

たはれ拍子
 「たはれ」は「戯れ」。こっけいな拍子。おもしろおかしい拍子。

瓢箪から駒が出た 
 意外なところから意外なものが出ることのたとえ。
 冗談半分のことが事実になってしまう場合などにいう。
 ことわざの元になったのは中国の伝説という。
 「このことわざは、中国唐代の道士であり、八仙の一人にも名を連ねる張果老(ちょうかろう)が、
 白いロバに乗って一日に数万里を移動し、休む時はロバを紙のように折りたたんで巾箱の中にしまい、
 乗る際には水を吹きかけてもとの姿に戻したという故事・伝説に由来していると言われています」
 (財団法人戸栗美術館ホームページ解説より引用)

めっそなめっそな瓢箪で 
 「めっそ」は「滅相(めっそう)」。原義は仏教語。
 1.法外なこと。みだりなこと。また、そのさま。むやみやたら。滅法。
 2.あるはずもないこと。とんでもないこと。思いもよらないこと。また、そのさま。
 ここでは2で、駒が出てくる瓢箪についていう。

駒に打ち乗り しゃんぐしゃぐ 
 「しゃんぐしゃんぐ」と同義。鈴などの鳴る音を表す語。
 ここでは駒に付けた飾り鈴の音で、駒が走り去る様子を表す。



【成立について】

天保十二年(1841)七月、中村座初演。
二代目尾上多見蔵の九変化舞踊「八重九重花姿絵(やえここのえはなのすがたえ)」のひとつ。
作曲十代目杵屋六左衛門、作詞三升屋二三治。
先に成立していた清元「鳥羽絵」の改作。