汐  汲
文化八年(1811)三月
作詞 二代目 桜田治助
作曲 二代目 杵屋正次郎
[前弾]〈二上り〉 
松一と木 変らぬ色の印とて 今も栄えて在原や 形見の烏帽子狩衣 
着つつ馴れにし俤を うつし絵島の浦風に ゆかしき伝手も白浪の 寄する渚に世を送る 
いかにこの身が蜑ぢゃと云うて 辛気辛気に袖濡れ濡れて いつか嬉しき逢瀬もと 
君にや誰かつげの櫛 さし来る汐を汲まうよ 汲み分けて 見れば月こそ桶にあり 
これにも月の入りたるや 月は一つ 影は二つ三つ 見られつも雲の上 
此処は鳴尾の松蔭に 月を荷うて 休らひぬ 見渡せば 面白や 
馴れても須磨の夕まぐれ 漁る舟のやっしっし 浪を蹴立てて友呼び交はす 
はんま千鳥のちりやちりちり ちりやちりちりちり ちりちりぱっと塩屋の煙さへ 
立つ名厭はで三歳はここに 須磨の浦曲の松の行平 立帰り来ば 
我も木蔭にいざ立寄りて 磯馴松の懐かしや [鼓合方]

かたみこそ今は仇なれ見初めてそめて 逢うたその時やつい転び寝の 帯も解かいでそれなりに 
二人が裾へ狩衣を 掛けてぞ頼む睦事に 可愛い鴉のエエ何ぢゃやら 
泣いて別りょか笑うて待とか 待たばこんとの約束を 忘るる隙は 無いわいな 
それから深う言交島の 水も洩らさぬなかなかに [浪の音合方]

濡れによる身は傘さしてござんせ 人目せき笠いつ青傘と ほんに指折り其の日傘 
待つに長柄のしんきらし それえそれえ 気をもみじ傘白張の 殿御に操立傘も 
相合傘の末かけて 誓文真実爪折傘と云はれたら 思ひも開く花傘 しほらしや 
暇申して帰る波の音の 須磨の浦かけて 村雨と聞きしも今朝見れば 
松風ばかりや 残るらん 松風の松風の噂は世々に残るらん