安達が原
明治三年(1870)

作曲 二代目 杵屋勝三郎
[謡ガカリ 次第]
旅の衣は篠懸の 旅の衣は篠懸の 露けき袖やしをるらん

是は那智の東光坊の 阿闍梨祐慶とは我事なり 夫捨身抖?の行体は 山伏修行の便りなり 
熊野の巡礼廻国は 皆釈門のならひなり 然るに祐慶この間 心に立つる願あって 廻国行脚の姿となり
我本山を立ち出でて 錦の浜を打詠め なほしをり行く旅衣 日も重なりて陸奥の 
安達ヶ原に着きにけり 安達ヶ原に着きにけり 
急ぎ候程に これははや陸奥安達ヶ原に着きて候 
あら笑止や 日の暮れて候 この辺りには人里もなく候 あれに火の光りの見え候程に 
立寄りて宿を借らばやと存じ候 実に侘人のならひほど 悲しきものはよもあらじ 
斯かる憂世に秋の来て 朝けの風は身にしめども 胸を休むる事もなく 昨日も空しく暮れぬれば 
仮睡む夜半ぞ命なる あら定めなの生涯やな 如何にこの家の内に案内申し候 誰にて渡り候ぞ 
是は廻国の聖にて候 一夜の宿を御貸し候へ 人里遠き此野辺の 松風寒き柴の庵に 
いかで御宿を参らすべき よしや旅寝の草枕 今宵ばかりの仮寝せむ 唯々宿を貸し給へ 
住馴るるわらはだにも憂きこの庵に 唯泊らんと柴の戸を さすが思へば痛はしさよ 
去らば泊り給へとて 扉を開き立出づる かたじけなしと客僧は 草の庵に通りつつ 
旅寝の床の憂き思ひ 暫らく労れを晴しける 今宵の御宿返すがへすも有難うこそ候へ 
又あれなる物は見馴れ申さぬ物にて候 是は何と申さるる物にて候そ 
さん候 是は枠枷輪とて 我等が如き卑しき賤の女の営む業にて候 
あら面白や さらば終夜営うで御見せ給へ 実に恥しや旅人の 見る目も恥ぢずいつとなく 
賤が業こそ物憂けれ 今宵とどまるこの宿の 主の情け深き夜の 月も差入る 閨の内に 
真麻苧の糸を繰り返し まそをの糸を繰り返し 昔を今になさばや

〈二上り〉 
かかる浮世に生存へて 明暮暇なき身なりとも 心だに誠の道にかなひなば 
祈らずとてもついになど 仏果の縁とならざらん 凡人間のあだなる事を案ずるに 
人更に若き事なし 何時かは老となるものを かほどはかなき夢の世を 

〈本調子〉 
恨みてもかひなかるまじ 扨抑五條あたりにて 夕顔の宿をたづねしは 
日蔭の糸の冠着し 夫は名高き人やらん 加茂のみあれに飾りしは 糸毛の車とこそ聞け 
糸桜色も盛りに咲く頃は 来る人多き春の暮 穂に出づる 秋の野辺の糸すすき 
月に夜をや待ちぬらん 今はた賤が繰る糸の 長き命のつれなさを 長き命のつれなさを 
思ひ明石の浦千鳥 音をのみ独り啼あかす 
如何に客僧たち 余りに夜寒に候程に 上の山に上り 木を取りて焚き火をしてあげ申さうずるにて候
暫く御待候へ 御志有難う候へ共 夜陰と申し殊に女性の御身として 思ひも寄らず候 
いやわらははいつも通ひ馴れたる山路なれば苦しからず候 さらばやがて御帰り候へ 
なうなう客僧達 わらはが帰らんまでは此閨の内ばしご覧じ候な 
左様に人の閨などを見る 客僧にてはなく候 此方の客僧もご覧じ候な 心得申て候 
不思議や主の閨の内を 物の隙よりよく見れば 人の死骸は数知れず 軒にひとしく積み置きたり
濃血忽ち融滌し 臭穢はみちて膨脹し 膚膩悉く爛壊せり 
如何様これは音に聞く 安達ヶ原の黒塚に 籠れる鬼の住家なり 恐しや斯かる憂目を陸奥の 
安達ヶ原の黒塚に 鬼籠れりと詠じけん 心もまどひ肝を消し 行くべき方は知らねども 
足に任せて逃げて行く 如何に客僧止まれとこそ 去るにても隠し置きたる閨の内を 
あさまになされ申しつる 恨みの為に来りけり 胸を焦す炎は 咸陽宮の煙紛々たり 
野風山風吹き落ちて 鳴神電光天地に満ちて 空かき曇る雨の夜の 鬼一と口に喰はんとて 
振り上ぐる鉄杖の勢ひ あたりを払って恐ろしや 
見我身者 発菩提心 聞我名者 断悪修善 聴我説者 得大智恵 知我身者 即身成仏の
繋縛にかけて責めかけ責めかけ 祈りふせにけり 今まではさしも実に 
怒りをなしつる鬼女なるが 弱りに弱り目もくらみ 足元はよろよろとただよひめぐる 
安達ヶ原の黒塚に 隠れ住みしもあさまになりぬ 実に恥かしの我姿やといふ声も 
さながら凄き夜半の鐘 音に立ち紛れて失せにけり 音に立ち紛れて失せにけり