青?裸々な日常
2008年12月~
第158号  リンパだよ、熱でるよ。


12月1日(月)大阪。
12月になってしまった。
気がついたら羽田空港。
えっと思ったら機内。
目が覚めたら伊丹空港。
うーむ、見事だ。
新大阪に行きお稽古。
その後、打ち合わせに。
明日の佐用町のライヴ開始が早い時間のため大阪に前乗りってことなのだ。
伝の会とスタッフが集合したとき、邦さんはすでに酔っぱらっていた。
邦「明日はな、大事な仕事だからな、しっかりな」
とか言いながら、また飲み始めた。
大丈夫なのか?


12月2日(火)伝の会 佐用編。
朝6時30出発。
レンタカーで佐用町まで130キロ。
運転は僕。
「大丈夫でない」邦さんは後ろで寝ている。
良い天気になって良かった。
9時前にさよう文化情報センターに到着。
仕込みとリハーサル。
10時30分より、小学校10校を対象にした90分の伝の会がお送りするワークショップがある。
あまり時間がない。
気がついたら本番だった。
良い子どもたちだった。
演奏したり三味線教えたり、映像見せたり。
12時に終演。
とにかく昼寝。
そして寒い。
楽屋をガンガン暖房入れてるのに寒い。
温かいものが食べたいのに、お弁当が冷たい。
ウーーー。
デ「開場しましたーーー」
テ「おっ、寝たか」
デ「はい、40分くらいはたっぷりと」
テ「おお、そっかそっか」
邦さんも昼寝をしたのだろうか?
さて、伝の会ライヴの始まり。
そうなのです。
ダブルヘッターなのです。
午前中が企画もので午後がライヴ。
よっしゃー行くぜーーーー。
良いお客様でした。
気持ちよく終演。
よっしゃー、くるまくるまーーー。
運転するぜーー。
邦さんも元気になったらしく
「アツシ、しんどくなったらいつでも替わるからな」
と言い残して寝てしまった。
まだ大丈夫でないんかーーーっ!!
4時に佐用町を出たので、渋滞にあたらず、無事伊丹空港近くまで来た。
ほーーっ。
良かった良かった。
とにかくお腹が減った。
邦さんも減っているらしい。
ということで王将で食事して
僕を伊丹空港に下ろして、邦さんとデンキチは去っていきました。
レンタカーを返して、邦さんは新幹線で帰るのです。
さて、いつもの伊丹空港。
なにせ、この空港に2時間3時間居ることは当たり前ですからね。
なにせ、変更できないチケットなもので。
自分の便まで待ってるしかない。
今夜も2時間半をここで過ごすことに。
ま、空港好きだから苦にはならないけど。


12月3日(水)若松小学校。
朝8時半。
府中市立若松小学校の校長室に入って行った。
テ「おはよー」
邦「おー、さっきは」
先生「えっ、さっきまでご一緒だったんですか?」
邦「いやいや、昨日大阪で別れたんですけどね、感覚的にずっと一緒にいる感じなんですよ」
テ「仲がいいからね」
先「大阪だったんですか」
邦「兵庫だったんです」
校長「兵庫から」
テ「昨日のうちに帰ってきましたけどね」
先「お忙しいとこをすみません」
邦「いや、そんなことないですよ」
テ「うれしいですよ、今日も6時に起きられて(笑)」
邦「そうそう、いつ寝たのかがわかりづらくて」
テ「お腹減っちゃったんでコンビニでスパゲッティ買ってきたんです」
校「良かったらここで食べてくださいよー」
テ「そんなぁ、校長室でコンビニ弁当なんてーー」
校「いえいえ、ご遠慮なさらずに」
先「ほんっとに気がつかなくてすみません。こんなに朝早くお呼びするんだから、朝食をご用意しておかなくちゃいけなかったですね」
邦「いえいえ、僕は食べてきましたから」
先「お家で?」
邦「そこのコンビニで」
テ「コンビニん中で食べるなよ(笑)」
先「ほんっっとに申し訳ありません」
テ「冗談ですよ、先生。気にしないでくださいよ」
先「いえいえ、ほんとにすみません」
テ「いや、気にしないでくださいって、だけどコーヒーが飲みたいなぁ」
先「あーー、すみませーーん、いますぐにーー」
邦・テ「(笑)」
校「相変わらず、楽しいお二人ですねぇ」
テ「いやいや、まぁ、ウォーミングアップみたいなものでして」
邦「ええ、スイミングでアップアップみたいな」
テ「なんやねん!」
校「はっはははー、いやいや楽しい」
邦・テ「ありがとうございます」
9時35分から4年生(3クラス)、10時50分から5年生(3クラス)と二回ステージ。
ステージってこともないけど、じゃ授業かって言うと違う感じもするし・・・ま、とにかくそんな感じの時間を持ちましてね、音楽室で伝の会を楽しんでもらって、お三味線を身近に感じてもらったわけで。
再び校長室でお昼ごはんを食べて音楽室でゴロゴロする。
14時30分から音楽の先生たちが大勢くるので、そこでもワークショップをやることになっている。
邦さんは昼寝。
僕も昼寝をしようと音楽室の陽だまりの場所で寝っころがってると、生徒たちが入ってきた。
「あー、寝てるーー」
「どーしたのーー?」
「ねーねーいくつーー?」
「結婚してるーー?」
「携帯が美輪さんだーー」
「漫才師ーー?」
「もう一人はーー?」
「ごはん食べたーーー?」
ええーーい、ひとりっつ話さねーかーーー!
とにかく昼寝は出来ないのだと覚悟が決まった俺は子どもたちと遊ぶことにした。
どうせ今は、給食後の休み時間だ、すぐに終わるだろう。
と思った僕が間違いだった。
この学校(府中市の小学校は全て?)、水曜日は4時間授業だったのだ。
なにっ、この子達、もう、お帰りの時間なんだーーー。
しまった、コイツラっ、山ほど時間があるーーー。
遊んではいけなかったのだーーー。
音楽の先生たちが十数人、僕らの前に座っている。
はい、伝の会の始まりです。
お三味線に少しでも興味のある先生たちなのだろう。
一生懸命聞いてくれた。
全員にお三味線の体験もしてもらった。
楽しんでくれたようだ。
良かった良かった。
邦さんに家まで送ってもらい、荷物を置いて、僕はまたすぐに出かけた。
伝の会の出来そうな会場を古典空間社長と下見に行くのだ。
その会場のイメージを聞くと、なかなかの感じ。
そこでやる方向で考えている僕がいる。


12月4日(木)ココダケの伝の会 其の二。
今夜のライヴのための配り物やらアンケート制作。
バタバタしたまんま車で大塚グレコへ。
ウチから9キロ。
近い?
遠い?
まぁ、近いわね。
気分的には近所って感じかな。
僕の本籍だったこともあって、大塚って土地はとても親しみがあるのです。叔父さん叔母さんたちも住んでたし。
だからってわけではないのですが、ピリッとしないんですね。
なんだか寝ぼけたまんまの顔で登場みたいな。
手伝ってくれる鉄六が来る。
「今、何かを食べさせてくれないと、とてもじゃないですが終演まで持ちません」という、軽い脅しの中、スタミナラーメンに連れて行く。
ここは、90年代初めに「月刊 伝の会」をやっていたジェルスホールの隣のラーメン屋さん。
当時はあんまり来なかった。
邦さんと立ち食いそばばっか食べてたから。
お金もなかったしな。
それが今では、お弟子を連れて入って、ドーーンと600円くらいのラーメンとかご馳走できるんだから、いやいや金持ちになったもんだなぁ。
あっはははは。
ポーーンと、1300円くらい払えるんだから大したもんだぜ。
はっはははははは、ごちそうできるんだから。
弟子にね。
連れて行けるんだから。
はははは、鉄六にね、ポーーンとね。
どーでーぃっ!
て感じでね。
はははははは、ま、手伝ってもらうんだからね、ごちそうすんの当たり前だけどね。
なにせ、ラーメンのところをワンタンメンだって大丈夫なんだから。
全然気にしないんだから。
ドーーンと、払えるんだから、あっはははははーーー。
おいおい、まだ食べるな。
オレがご馳走したものの写真を撮って日記に載せるんだから。
ホラホラ写真撮るんだから。
そうでもしないといかんだろ。
とにかく、オレが、心の広いオレが、お前に
ドーーンとご馳走したんだっていうのが今回のテーマみたいなものだ。
なっ、カメラカメラーー。
あれっ、カメラ持ってきてないじゃん。
あきらめないよ、撮りますよ。
携帯でね。
バシャッ
さ、食べたか?
バカっ!
残すな。
600いくらもするんだぞ。
残すんじゃないっ!
お持ち帰りにしてもらえっ!!
さ、ごちそうしたんだから働けよ。
なっっなっっっ、一食ごちそうになったんだからっっ!
誠心誠意働くんだぞ。
一時も止まることのないよーに。
佐川急便の人みたいにな。
「歩くな走れ」みたいにな。
さ、さ、働け働け。
開場少し前に、邦さんと段取り始める。
あれっ、足置きが欲しいね。
ちょっと取ってくるわ。
渋滞さえしていなければ20分くらいでウチまでいけるはず。
でも時間は午後6時すぎ。
渋滞してたら途中で引き返して来ようと思って走る。
渋滞してなかった。
どうしてだろ?
そんな日もあるのかなぁ。
無事に帰ってきて着替えて本番。
「ココダケの伝の会」は文字通り「ここだけ」しか出来ないことをやる。
今回のテーマは「長唄三味線を掘り下げる」
「長唄三味線で掘り下げる」のではない。
譜面をテーマにしてみました。
無事に終演。
昨日は邦さんが車で僕を家まで送ってくれたので、今夜は僕が邦さんを送る。
テ「疲れたね」
邦「疲れたなー、この4日間」
テ「4日で何回ライヴしたんだ?」
邦「6回だよ」
テ「しかも全部違うパターンだものね」
邦「さすがにな」
テ「目が回ってるもの」
邦「なんかさ、ものすごく売れてるタレントみたいだよな」
テ「ああ」
邦「ま、売れたタレントになったことはないけど」
テ「ははは」
邦「はははは」
テ「じゃ、今度は名古屋だね、喬さまの(16日)」
邦「ああそうか」
テ「おやすみ」
邦「ありがと」
師走か。
走ってるなぁ伝の会。
アラ50のおっさん二人。
楽しいのだ。


12月5日(金)
おきられない。
起きられない。
おき・られない。
お・きられない。
うーーん。
9時から稽古だぞ。
稽古場の掃除。 
起きなきゃ。
「行ってきまーす」
娘が学校に行った。
うーーん、おきろーーー。
なんとか・・・なんとか起きる。
そして掃除・・・・なんとか掃除。
9時、お稽古開始。
お弟子さんというのはありがたいもので、疲れを吹っ飛ばしてくれる家族だ。
ひっぱりあげると、期待に応えてくれて。
その繰り返しでうまくなっていく。
なによりうれしいのは、その成長を僕が見られるということだ。
お稽古は楽しい。
6時半になった。
お弟子さんのお稽古は終わった。
座布団にゴロンとなった。
玄関が騒がしいので目が覚めた。
10日の「長唄二題の会」のお稽古をすることになっている。
みなさんがやってきたようだ。
ういーー。
まずは「鷺娘」の合わせ。
そして「あたま山」
そうだった。
「あたま山」の唄を担当することになっていたのだ。
うわっっっっ。
どしよ。。
しょうがないね。
だってなーんも浚ってないんだもーーん。
えへへへ、正直に話して、教えてもらう。
えへへへ、これで大丈夫。
あとは稽古稽古稽古ーーー。
えへへへへへ。


12月6日(土)唄鍋会 細坪基佳ライヴ。
とにかく寝不足なんですね、たぶんね。
10時の新幹線って言われたんですけどね、ちょいと遅くしてもらいましてね、午後の新幹線に乗りました。
午後ってのがいいねぇ、のんびりムードな車内ですわ。
午後3時ちょい前に浜松到着。
ホームに降り立つ。
寒い。
さむっっ!!
な、なんだこの寒さはっっ!!
浜松は常夏だと思ってますからね、寒いといけませんよ。
今日はなんで来たかと言うと、
細坪基佳さんのライヴがあるのです。
しかも年に一度の「唄鍋会」。
すごいですよ、なんつったって、鍋料理を食べてからライヴなんですから、しかもホールで。
今年で4回目。
前回(2007年12月9日)たまたま通りかかったら、今回も「来るように」と言われ、ヒョコヒョコやってきたわけです。
僕は昨年同様ドリンクコーナーを主に担当。
細坪さんのファンの方たちは温かく、僕のことを覚えてくださってる方もたくさんいてうれしかったです。
細坪さんのジャケットのお酒、カッコイーー。
ドリンクでほどよく賑わったころ、細坪さん登場。
料理長のオシキリさんと料理の説明のあと、いよいよお鍋の着火式が行われるのです。
そして、細坪さんの「オープニングは松永鉄九郎」の掛け声とともに、舞台の真反対の高台でワタシの5分間です。
演奏終わると、またエプロンしてね、食べ物運んだりね。
そして無事に終演。
打ち上げは細坪さん、久保田さん、都留さん、エンボス社長、押切さん、僕というオッサン6人で焼肉屋さん。
細「都留さん食べるねー」
久「モクモクと食べてますよ」
都「O型はね、狩猟民族なんですよ」
一同「えっ?」
都「狩猟民族だからね、肉が好きなんですよ」
細「好きだよ」
久「ツボさん、O型ですもんね」
テ「大好き」
エ「てつくろー、O型か」
テ「うーーむ、説得力あるなぁ」
都「炭水化物あんまり摂らない方がいいですよ、太りますからねO型は」
テ「うううーーむ、ますます説得力が」
細「B型は、なに民族なの?」
都「遊牧民族」
一同「なるほどーーー」
久「じゃ、A型は?」
都「農耕民族ですよ」
テ「ははぁ、なるほどーー。日本人の四割はA型ってのもわかるねぇ」
エ「俺たちはなんだろ」
都「何型なんですか?」
エ「オシキリとオレはAB型さ」
都「何民族だったっけなーー」
エ「どーせ半端者だよ(笑)」
オッサン6人で血液型から子どもの教育論までという幅の広い話題で盛り上がり、閉店時間となったので、エンボスに移動。
ここで3時すぎまで。
いやいや、とにかく楽しかった。


12月7日(日)
朝の新幹線で帰宅。
「狂獅子」自主稽古。
26日の「テツクロの会」で弾くんだが、うーーむ。
六ショーゴさんが来てくれる。
もちろん「狂獅子」の稽古のため。


12月8日(月)
稽古日。
終わったら疲れた。
そりゃそうだが。
とにかく寝よう。


12月9日(火)
首の両側にプクッと腫れているものが。
ドキドキする。
なんじゃこりゃ。
恐る恐る妻に聞くと「リンパだよ、熱でるよ」と言う。
なにっっ!!
新幹線に乗った。
だんだん熱が出てきてる感じがする。
うーーー。
浜松到着。
そのまま病院へ連れてってもらう。
テ「せんせーーい」
先「熱は37度。うーん、まだ風邪ひいてないね」
テ「えっ!?」
先「なんとかなりそうだよ」
テ「なんとかしてくださーーい」
よーーし、力つけなきゃと、ウナギを食べて、お稽古場へ。
今日は浜松のお稽古場、今年最後のお稽古なので、いつもの宴会は忘年会となっている。
はりきって乗り切らなければ。
そして、ウナギパワーで無事に乗り切る。
しかしさすがに二次会は欠席させてもらい、ベッドに倒れこむ。
就寝23時。


12月10日(水)長唄二題の会 年忘れ公演。
朝の新幹線に乗って帰宅。
ちょいと昼寝。
どうもボーッとしている。
薬のせいかなぁ。
今夜は「長唄二題の会」
風邪はひいてないからと予防の薬を飲んでも変わらない、じゃ、風邪ひいてんのかと風邪薬のんでも効果はない。
やっぱ風邪じゃないんだなぁ。
熱は出ないし、喉も痛くない。
ただリンパが腫れてる。
うーーん。
上野広小路亭到着。
今夜の演目は「小かじ」「あたま山」「鷺娘」の三つ。
「あたま山」のセリフの稽古を。
さて開演。
楽しい三曲だったなぁ。
4月から毎月やってるこの会も今年は今日でおしまい。
一応区切りがついた。
4月から9回だが、よく出来たと思う。
毎月、会をやるっていうことなんて考えられないハイペースなこと。
三七郎くん剛二郎くんを中心によく踏ん張ばった、偉いぞ。
また来年。


12月11日(木)
お稽古日。
まぁ、お稽古してれば元気。
合間で身体休めてね。
夜は早く寝ます。


12月12日(金)
久しぶりに、かかりつけの王先生のとこへ行くことにした。
針、とにかく何度も助けてもらってる、王センセ。
王「ひさしぶりね」
テ「せんせー、もう、身体ガタガタだよ」
王「だいじょぶ、かわってないよ」
テ「とにかく頼みます」
王「顔色からすると、今日、血、ぬこう。マバシさん、来るとき、いっつも重症ね」
テ「火針かーー」
王「はい、あっちむくね」
テ「ギャッギャッギャーーーー!!!」
王「ほら、顔色よくなったよ」
テ「そりゃー、ああた、いま、騒いだもの。顔色が良くなったんじゃなくて顔に血がのぼったんでしょー!」
王「どお?」
テ「どおって、まぁ、楽になりましたよ」
王「この血がたまってたよ」
テ「スゲーな、色も濃いし」
王「まだやるよ。今度は血、ぬかないから」
テ「ぬかないったって、また、火針・で・しょ・・ギャーーー・・・はぁはぁ、ギャーーー、ははははははは」
王「はははは」
テ「いたいよーーー」
王「だいじょぶだいじょぶ」
テ「いたいーー、はははは」
王「どお?」
テ「どおっじゃないっつーの。痛くてカッカして血液が流れはじめたんじゃないのーー?」
王「今日はこのくらいにしましょ。リンパの腫れがひいてきたでしょ」
テ「あ、たしかに。しかもオレ、リンパが腫れてるなんて言わなかったよね」
王「見ればわかる。あと3時間したらもっとひくよ」
テ「ありがとうございました、ぐすん」
王「トマトたくさん食べてね」
テ「ぐすん、トマト嫌いなんです」
王「じゃ、カボチャ」
テ「はい、ぐすっ」
王「また明日きてね」
テ「はい」
王「ウナギ食べて寝なさい」
テ「はい」
帰宅してお稽古開始。
カボチャとウナギかぁ。


12月13日(土)
今日は目が覚めるまで寝てよい日。
けれども、毎日早く寝ていたせいで、睡眠はたっぷりとれているらしく、寝ていられない。
予定では今日あたりで、なんとか回復したかったのになぁ。
うまくいかないものだ。
今夜はチームてつくろの忘年会。
お弟子さんが経営する「角庵」というお店。
いい感じですよ。
ウチに来て10年くらい?もっと?
わからないが、とにかく長ーーくいるTが結婚すると言う。
ボリビアの彼とつきあってたのは知ってたので、ずーっと「よしなさい!」と言い続けていた(なにさまだワシは。うーーん、とにかく反対していた。だから何様っだっつーの)。
その彼氏を連れてきた。
なーんだ、かっこいいじゃん。
オイオイ、かっこよきゃいいのかよーーー。
うん。
うんって!
いやっ、なんつーの。
好青年じゃん。
ホームコメディに出てきそうな彼じゃん。
結婚しなよ。
はやっ。
うんうん。
おめでとおめでと。
しかしなんですなぁ。
お弟子さんが嫁に行くってのは、経験がありますけどね。
10年近く師弟やってると、もう娘みたいな感覚だしね。
なんだか、うれしいような心配なようなですね。
ボリビアのヘスス君は、まだ日本語がほとんど無理なところ、チームてつくろの集まりに連れてこられ、イヤな顔ひとつせず、群がるウチのお弟子さんたちと一生懸命身振り手振りで話してました。
その姿がなんとも微笑ましかったですね。


12月14日(日)
王先生の治療に朝早ーーく出かけ、急いで帰宅してお弟子さんのお稽古をやり、そうこうしているうちにスクハジたちがやってくる。
18日スクハジライヴの稽古である。
今回長唄をやるのでそのお稽古。
それが終わると、江古田の日芸へ。
車で行くつもりにしていたが、体調もナニなので電車で行くことにした。
直線距離だと大したことないんだけど電車だと妙にややこしい場所ってあるでしょ。
僕んちから江古田がまさしくそれ。
2、3回乗り換えなきゃいけない。
まぁ、そんなこと言ってもしょうがないわな、自分で電車で行くって決めたんだから。
さて、毎年恒例の日芸歌舞伎の発表会。
今年は27日に開催される。
おいおい、押し迫ってるねぇまた。
ま、スケジュール空いてたから良かったけどしゃ。
今夜は、その下浚い。
今、建替え中の日芸の校舎たち。
迷路のような校内となっている。
一人じゃ絶対帰れない。
下ざらいも無事に終了し、打ち上げには参加せず帰宅。
ヨシヨシ。


12月15日(月)歳時記旅情。
10時30分に新宿に集合。
とにかくあったかい格好して行く。
「歳時記旅情」という企画をSさんがたてた。
老舗の旅館で落語とかお三味線を聴いて観てもらって、おいしい料理を食べ、温泉に入りというもの。
で、連れてってくれるという。
さん生師匠とお弟子さんのわさびさん、そして僕という三人が出演者。
第一回の今回はお客様と一緒にバスで行くことに。
うーーん、バス酔いが心配。
しかし、なかなか快適なバスで、ゆったりとしていて、カクッと寝てしまった。
なにせね、リンパが腫れてるからね、心配でさぁね。
でもね、快適でした、助かったよ。
伊豆は稲取温泉銀水荘に到着。
良いですねぇ、入ったとたんに疲れが飛ぶようなたたずまい。
僕らはさっそく会場となる大広間で支度やらリハーサルやら。
16時開演です。
わさびさん・さん生師匠・僕・さん生師匠という感じでね。
なかなか楽しい寄席でしたね。
面白い面白い。
終わって、部屋に戻ってね、
キレイな和室ですよぉ、びっくりするくらい。
窓から見えるのは海、真っ青な海。
三味線片付けながらね、「いろんなことやってるなワシ」としみじみ思いましたな。
さて、宴会と相成ります。
今回は一回目というか、プレというか、忘年会も兼ねてみたいなというか、ま、とにかく企画者協力者たちのための公演だったりもしたわけで、ここからはウチウチの宴会となったわけですね。
ということを宴会場に来て知りました。
宴会が終わると二次会が決まっております。
まぁ、僕はまだお風呂に入ってませんからね、とにかく、大浴場に参りました。
いやー、びっくりしたわ。
デカイ。
風呂場がデカイ。
湯舟がデカイ、広い、豪華。
露天風呂も広い。
あのね、わかりましたよ。
空間の広さってのがね、疲れを癒すってこと。
広ーーい、露天風呂の中にいるだけで、なんという気持ちの良いことよ。
いやいや、気持ちよかったなぁ。
仕事で温泉来られるんだなぁ。
冷えちゃいけませんからね、二次会にかるーく顔だして
そそくさと寝てしまいました。


12月16日(火)喬太郎独演会。
目が覚めた。
まだ薄暗い。
うぬ、大浴場は24時間やっていると言うことを思い出した。
ヨシ、行ってみようか。
露天風呂からは大きな海が見えた。さっき日が昇ったばかりのようだ。
実に気持ちがいい。
大きな海を見ていると力がわいてくる。
部屋に戻り、再びうとうとしていたら、朝食のご用意が出来たと呼びにきた。
うーむ、もう少し寝ていたかった。
朝食の部屋に行くと、みんなが揃い始めてるところだった。
2時まで騒いで寝た人、4時半まで起きてた人、はたまた寝てない人までいる。
なんちゅうツワモノ揃いのツアーだ。
おいしく料理をいただき、支度してバスへ。
このまま新宿まで帰って解散だそうだ。
僕を熱海駅で降ろしてくれるという。
いやいやうれしいな。
なんつったって、これから名古屋に行かなくちゃいけない。
温泉でポカポカしたままバスで寝る。
「着きましたよ」
はいはい、ではでは。
みなさんにお別れの挨拶をしバスを下車。
ちょっと寂しかったがしょうがない
名古屋までこだまで2時間。
ここでもぐっすり寝た。
なにせ僕が乗った号車にお客は僕だけだったし、とにかく快適だった。
気がついたら名古屋駅に着いていた。
16時ちょいに、邦さんと喬さまを乗せた新幹線がやってくる。
そこで合流することになっている。
今夜は「喬太郎独演会」。
そのゲストに伝の会が出演する。
うれしいねぇ、喬さまとは「べらぶら」以来だな。
電話が鳴る。
邦「どこにいる?」
テ「あれっ、新幹線の出口だよ、いつもんとこ」
邦「もうみんな一緒だぞ」
なんでか知らんが、名古屋駅の待ち合わせって、うまく会えたことがない。
簡単なのに。
めちゃめちゃわかりやすい改札なのに。
不思議だよなぁ。
今回も邦さんたちを見過ごしたらしい。
電話で「どこだどこだ」と言いながら出会う。
喬さまも元気そうだ。
会館へ。
久々に見る喬さまの高座。
次に自分の出番があることを忘れ、袖でゲラゲラ笑った。
そして、伝の会。
こういう形で高座に上がることってめったにない。
めったにないが、こういう形で出演させてもらいたくて
しょうがないのである。
なかなか、この位置に伝の会を呼んでくれないのである。
この位置に呼んでいただきたいのである。
そうなのである。
お願いなのである。
中入りの後、喬さまがもう一席。
邦さんは岐阜へ行かなくちゃいけないので先に帰った。
忙しいねぇ伝の会。
無事に終演。
そして喬さまと帰りの新幹線の中。
バカなことくっちゃべりながら、いつしか寝てしまった。
「それじゃ」
「それじゃ」
喬さまと別れて一人になる。
ガラガラと荷物をひっぱりながら、ものすごくお腹が空いてることに気がついた。
そしてふと首に手をあてると、リンパの腫れが治まっている。
おおおっ。
やったーー、ついに元気になってきたか。
これで頭痛と腰のだるさが消えてくれるかな。
そしたらいいなぁ、しんどかったもんなぁ。
そっかー、元気になってきたからお腹がすいたのかぁ。
よっしゃー。
とにかくガツンと食べたくなって、つけ麺とギョーザライスを寝しなに食べた。


12月17日(水)
テ「王先生、リンパの腫れがなくなりましたよ」
王「そーでしょ。今日はどこが具合悪い?」
テ「肩がメチャメチャはってるんです」
王「はい、すぐ治るよ」
テ「(火針)ギャッッッッ!!!」
王「どぉ?」
テ「は、はい、大丈夫そうでふ」
王「はい、仰向けになってね」
3ヶ所に針を打たれ横になると熟睡。
30分くらい寝たのかなぁ?
王「はい、お大事に」
ふー、すっきりしたぞい。
さて、急いで帰宅だ。
26日の「テツクロの会」の稽古のために皆がやってくる。
「末広狩」「狂獅子」「勧進帳」をダーッと稽古。
ふーーー、弾いた弾いたーー。
皆々帰っていく。
ふーーー、今日も終わった・・・・・終わってなーーーい。
明日の那覇での一人ライヴのネタ考えなくっちゃーーー。


12月18日(木)那覇。
今年最後の飛行機は、那覇行きでした。
最近すっかり乗り物で寝られなくなってしまった私は、携帯テレビとパソコンを持ち込み、自分の席をちっちゃなオフィスにして過ごしております。
飛行機に乗ってもグーグー寝ていた、今年初め頃の私はもう存在しないのです。
人って変わっていくのですね。
寝られないのは年のせい?
ま、とにかく那覇に到着。
コートを脱いでね。
あったかいですからね。
こちらに来ると色々な人にお会いするのですが、本日お会いした方は、
ぜひ大東そばを食べてくださいと連れていってくださいました。
ま、沖縄のおそばなんですけどね。
大東島のおそばですね。
大東寿司もいただきました。
大東島のお寿司なんですけどね。
ヅケのお寿司。
つまりは江戸前ですね。
それを食べさせたかったとおっしゃってました。
サワラのヅケですね。
はい、びっくりしました。
ぺロッと食べてしまいました。
しかし、沖縄に毎月来てますが、沖縄そばはほとんど食べなかったですね。
今年は一度、邦さんと空港で食べたっきりかな。
いやいや、久々に食べましたわ。
沖縄に来てるんだって感じでした。
お稽古のあとは、4回目となった「ひとりライヴ」。
沖縄はワタシを鍛えてくれますなぁ、ありがたいことです。
そのあと、忘年会ということになりまして、ワインをいただきました。
お腹が減ってたんでしょぅなぁ、かなりききました。


12月19日(金)
フラフラと目が覚めました。
睡眠はかなりとれているので、大丈夫でしたが、昨日のワインはかなりガツンとしたものだったのかなぁ。
とにかくお腹が空いてますからね、いつも行く中華屋さんに。
とにかくメニューが豊富なのです。
3年くらい違うもの注文できそう。
今日はニラ玉の野菜炒めにしました。
相変わらず量はハンパじゃないっすよ。
絶対に食べ切れません。
三人でイケルって感じ。
とにかくお腹いっぱいです。
今日もお稽古です。
やっぱりね、2日続けてお稽古するとね、良いですよね、伸びますよ。
終わると細々した仕事して、そして買い物をして空港へ。
那覇空港も好きな場所です。
やっぱり空港ってのはいいなぁ。
またお腹減っちゃいましたね。
けどね、空港の中のレストランは行く感じではなかったので、コンビニでおにぎり買いました。
もちろんポーク玉子。
ポーク玉子の種類がたくさんあってね、何にしようか迷いますね。
東京のコンビニでも置けば良いのに。
絶対に売れると思うけどなぁ。
帰りの飛行機はジャンボで、運良く一番前の席だった。
ここが快適。
とにかく快適。
20時間くらい乗ってられるぞーー。
ってなイキオイで帰ってまいりました。
あ、12月1日にオンエアした「まーさん堂」http://www.otv.co.jp/masando/gest/gest081201.html
のDVDもらってきたーー。
楽しみ楽しみーーー。


12月20日(土)
あーさー!!
起きろーーー。
とっととーーー。
稽古場のお掃除しろーーー。
さっさとーーー。
9時すぎ、お稽古開始。
なんだか暖かい日ですなぁ。
ちょいと外に出たいもんだが。
少し散歩でもしたいとこだが。
ずーーっと稽古場にいるのです。
ずーっとお稽古なんです。
お弟子さんがカツサンド買ってきてくれた。
弟「はい、師匠」
テ「おお、ありがてー」
弟「もう一曲教えて欲しいんですけど」
テ「ああ、いいよカツサンドもらったからな」
お弟子さんがおやつを持ってきてくれる。
弟「はい、センセ」
テ「おおっ、ありがてー」
弟「この曲、録音してもらえませんか?」
テ「ああ、いいよ。おやつもらったからな」
だんだん食べ物で動くようになってきているワタシ。
そして気がつけば夜も更けていく。


12月21日(日)伝の会 忘年会ライヴ。
起きろーーー。
時間だーーーー。
久しぶりに日本橋に行くのだーー。
いやいやうれしーなー。
何がうれしいって、あっち方面に行くと「小諸そば」がありますからね。
いやいや、久しく食べてませんからね。
僕と邦さんの中では、「小諸そば」を「あの名店」と呼んでるくらいですから、あはははは。
神田の名店に着いたときは、お江戸日本橋亭集合時間の15分前だった。
ピッタシ。
素晴らしい。
ワタシは必ずかきあげのおそばです。
ええ、これは譲れません。
大好きなんです。
店に入っていくと、大きな背中が迎えてくれました。
テ「おはよう」
邦「おお」
テ「久しぶりだよねぇ、こっち方面」
邦「そうだな、日本橋亭に来なかったもんな」
テ「もうさぁ、今日テンション高いんだよ」
邦「どーして」
テ「朝からさぁ、『ああ、今日は小諸そば食べられるなぁ』ってさ、えへへ」
邦「ったくぅ、お前はちっちゃいやつだなぁ」
テ「はははは」
邦「オレなんか、寝られなかった(笑)」
テ「ははははは」
邦「はいはい」
テ「邦さん、なんだいそれ。かきあげそばじゃないじゃん」
邦「うどんだ」
テ「うどん?小諸そばに来てうどん?」
邦「味噌煮込みうどん」
テ「どーした?血迷ったか?」
邦「うかれすぎちゃって何頼んでいいかわかんなくなっちゃった(笑)」
テ「ははははは」
伝の会、絶好調。
本日は、伝の会のファン倶楽部のようなものの「ちょんまげ倶楽部忘年会ライヴ」なのだ。
毎年恒例なのです。
興味のある方はぜひ「ちょんまげ倶楽部」にご入会を。
損はさせません。
今日は忙しい、ライヴの前に取材が入っている。
うれしいことですね。
そしてライヴ開始。
邦さんの乾杯から始まる、まさしく忘年会ライヴなのです。
いやいや、今年も楽しかった。
でも、まだまだしゃべり足りない弾き足りないのライヴって感じでした。
また来年だな。
スタッフと打ち合わせをして帰宅。
コロンと横になったらかるーく昼寝をしてしまった。
今夜は娘を連れてご飯に行かなくちゃいけない。
テ「おーーい娘、起きてるかーー?」
娘「はーーい」
テ「行くぞーー」
娘「お腹へったよーーー」
ありゃ、待たしちゃったな、かわいそうだったね。
いろいろ行くがどこも行列。
つまりは食べたいものが食べられないということ。
娘「どこでもいいよ、お腹ペコペコだもの」
テ「おーー、なんとひもじい、うーーむ、あとはどこがあるかなぁ、あそこのフラカッソ」
娘「いいよ」
テ「よっし、スパゲッティたのも」
娘「スパゲッティ屋だもの」
ウ「お決まりになりましたら、お呼びください」
テ「はいはい」
娘「・・・・・」
テ「・・・・・・」
娘「・・・・・・・」
テ「オレは決めたぞ」
娘「早いね」
テ「大人だからな」
娘「ペペロンチーノ」
テ「おおっ、お前もか!」
娘「えっ」
テ「親子だなぁ」
娘「じゃ、茄子のミートソース」
テ「変えるんかいっ!」
ウ「お決まりですか?」
テ「ペペロンチーノひとつと・・・お前、茄子でいいのか?」
娘「ペペロンチーノ」
テ「なんだよっ!・・・じゃ、ペペロンチーノ2つ」
娘「同じの頼んだら、ちょっと食べさせてって出来ないじゃん」
テ「オレのセリフだよ。お前が変えるんじゃなかったのか」
娘「麺の硬さはどぉ?って、つまむくらいだね(笑)」


12月22日(月)伝の会 白瀧編。
とにかく今、26日の「テツクロの会」の「狂獅子」を稽古してます。
必死です。
狂いそうです。
ヴーーーーーっ。
夕方に邦さん来宅。
手伝いの鉄七も来てくれる。
今夜は「伝の会 白瀧編」
あいにくの雨だ、しかも寒い。
お客さん来ないんじゃないの?
しかも昨日休みで明日も休み。
この休み休みの間の、寒い雨の晩という悪条件。
そして、なにより都心から離れている場所。
ワタシの地元。
わーーー、お客さんこないじゃーーーん。
狂いそうです。
さて開演です。
狂わずにすみました。
お客さん、たくさん来てくれました。
ワッハハハハハハーーー。
いかったいがったーーー。
うれじーーー。
今年最後といっても良い伝の会ライヴ。
良い形で飾れました。
ありがとうございました。


12月23日(火)
天皇誕生日ですがね、僕にとっては母の祥月命日です。
なんだって?
平成3年に亡くなってんのかぁ。
丸17年じゃん、そんなに経つのかぁ。
僕が31歳の時に亡くなったんだ。
僕が62歳になったら、母がいる人生といない人生が半々になるのかぁ。
なんだか不思議だなぁ。
そんなこんなの今日ですが、「鶴亀」の上調子を稽古して国立稽古場に向かいました。
24日の「温知会」でウチの家元が「鶴亀」を弾くので、私が上調子を弾かせていただくのですね。
なんだか上調子が久しぶりなんです。
僕は上調子が好きで、人よりは結構たくさん弾いてるんですが、最近は弾かなくなっていたんだなぁ。
国立稽古場での下ざらい終えたらビューっと帰ってきて「狂獅子」を稽古しようと思ったら昼寝してしまい、夕食後に稽古しました。
ちょっとだけ。
ちょっとだけじゃアカンやろーーーー。


12月24日(水)温知会。
ウィーーっす。
別に酔ってるわけではありませんが、24日がやってきました。
昨日の「鶴亀」の下ざらいで満足な結果が出なかった私は、今朝も「鶴亀」を稽古するのでした。
テレビの星占いでも「一番大事な場面でアクシデントが」などと言うものですからなおさら気合が入ります。
ええ、入りますとも。
考えて見たら演奏会で「鶴亀」の上調子どころか「鶴亀」を弾いたことなかったような。
麹町からガラガラ歩いて、もりそば食べて、国立へゴ出勤。
「おはよーございまーーす」
口番のオジサンが僕のスリッパ出してくれた。
あ、いけねぇ。
寸志を忘れたぞ。
しまった。
いきなりしくじった。
今更「普通のスリッパで良いです」なんて言えねぇぇぇ。
囃子方の師匠に会う。
師「なぁ、見たか?」
テ「スリッパですか?」
師「なんだよスリッパって。違うよ、タクシー」
テ「ああ、どなたかのお迎えタクシーですね」
師「ベンツだったよな」
テ「あ、そうでしたね、ベンツのタクシーってあるんですね、初めて見ましたよ」
師「オレもだよ。時々さ、個人であるけどな。今日のはめずらしいな」
テ「そうっすね」
という、他愛のない会話をしながら楽屋へ。
すっかり、寸志のことはなおざりにしてしまいました。
和寿三郎くん、マサキ(忠一郎)はもう来ていた。
忠「もう帰ってきたの?」
和「ええ、もう終わりました。昼間結構歩いたりね」
忠「オレは夜の部だったからな」
どうやら、今月行っていた京都の話をしているらしい。
和寿三郎くんは昼の部の二つの演目にのっていて、お昼には一日の仕事が終わってしまうらしい。
マサキは、反対に夜の部の演目だったらしい。
忠「昼で終わっちゃうんだもの、いいよなぁ」
和「いやいや、そのかわり朝が早いですよーー、8時に起きるんですから。マサキさんはゆっくり寝られるじゃないですかぁ」
忠「だけど、終わって片付けると10時近いんだよ。あわてて飲みに行くって感じだよ」
和「朝寝てられるじゃないですかぁ、僕らなんか飲んだって朝起きるんだからぁ」
テ「当たり前だろ」
和「アツシさん、こないだね、記憶がなくなったの」
テ「飲んでか」
和「5軒目は覚えてるんだけど4軒目がまったく思い出せないんです」
テ「記憶なくすような年になったんじゃないか」
和「今まではね、どんなに飲んだって覚えてたんですよ」
テ「それはわかる、オレもそうだった」
和「ショックですよーー」
テ「ショックさってお前、朝早く起きなきゃいけないって言ってんのに5軒ハシゴしてるんだと聞かされた俺がショックだよ」
和「今までは無かったんです」
テ「ひっぱるねぇ、今のオレのセリフでオチたと思ったんだけどなぁ・・・ああ、そうかい、そりゃショックだなぁ。Iオジサンは元気だったか?」
和「はい、とってもお元気でした」
テ「そっかぁ、良かった」
忠「5軒は行けないねぇ」
テ「また戻るんかい!」
家元が顔を出す。
家「お前さ、3月(次回の温知会)も上調子な」
テ「はい」
どうやら上調子づいてるらしい。
家「オレ、演奏会で『鶴亀』弾くの初めてかも知れない」
どっかで聞いたセリフだぞ。
さて温知会開演。
「鶴亀」が一番最初の演目なのでとっとと舞台へ。
調子をあわせている時、ふと見ると、三の糸が痛んでいる。
えええっ!!
おっかしーじゃん。
ちょいと皆で楽屋で浚ったけど、ちょっとだけだったじゃん。
痛んでるなんて聞いてないよーーー(ま、誰も教えてくれないけど)。
バチのせいかぁ。
とんがってる方で弾いてしまったんやな。
もう糸替えてる時間ないしなぁ。
まあ、大丈夫っしょ。
その時チラッと星占いが浮かんだ。
ええいっ、うせろーーー。
本番終了。
見事に失せてくれた。
ふふふ、良かった良かった。
もし糸が痛んでなかったら、ひょっとして、バチのとんがってる方で弾いてしまって大変なことになるところを気がつかせてもらったぜ。
良かった良かった。
3月の温知会までには、とんがってる方も少し削っておこうっと。
夕方、二階に上がったら、チッチャなサンタが宿題をやっていた。
クリスマスイヴか。


12月25日(木)
11月だったか、沖縄で、いつものように東池袋大勝軒那覇店でつけそばを食べているとき、張り紙があることに気がついた。
ん?
なになに、移転のお知らせだと。
那覇の地理は皆目検討がつかないが、どうやらここより結構遠くらしい。
がっかりだなぁ。
最近忙しくて東京で大勝軒に行けないところを那覇店を見つけて、那覇に来るたんびに楽しみにしていたのにーー。
所は変わって東京はウチの近所の光が丘。
信号で止まったワタシの車。
ふと、人が並んでいるのに気がつき、左を見ると、
な、な、なんと「大勝軒いぶき」と書いてある店がっ!
「やったーー!」
思わず運転席で声をあげた。
ついに光が丘に大勝軒が出来たかぁ。
近いぞーー。
よっしゃー、那覇はがっかりだったが、拾う神も有りだなぁ。
そして、月日はめぐり12月。
もっと近所の田柄は巣鴨信用金庫前の信号で止まったある日。
左で真っ赤な旗が揺れているのを、ワタシの細長い目がとらえた。
ふと目をやると「大勝軒」と染め抜かれた旗がっっっ!!!
「やったーーー!!」
再び、一人っきりの車内にワタシの雄叫びが響いた。
ついに、ついに、わが町に大勝軒がっっっっ!!!
うーーー、うれしーー。
今年がんばったごほうびだーーー。
いろんなことにめげずにここまでやってきたごほーびだーーー・・・・・。

午後には六ショーゴさん、六柚紀さん、マサキ(忠一郎)、鉄駒、鉄六がやってきました。
明日の「テツクロの会」の稽古です。
リハーサルっちゅーやつやね。
マサキは我が家に来るのが久しぶりでしてね。
しかも、ウチの猫たちはマサキんちの子でしてね。
宇太と伽羅と久しぶりのご対面ですわ。
デジカメ持って写真撮ってる元親マサキ。
心なしか猫たちも喜んでるように見えましたわい。
そんなこんなでメリークリスマスの我が家でした。
あ、僕の昼ごはんはもちろん大勝軒のラーメンでした。


12月26日(金)第2回 テツクロの会。
昨日、今日の「テツクロの会」のリハーサルをした。
「狂獅子」もなんとかこなせそうだ。
間違ってないと思う。
ちょっと安心した。
鉄七が「寒い寒い」と言いながら迎えにくる。
えっ、今までポカポカな日差しだったのに。
出発。
なるほど外に出てわかったが、メチャメチャ寒い。
まだ15時なのにこんなに寒くていいのか。
今夜お客様来てくれるかなぁぁ。
庚申塚スタジオフォー到着。
ここの主の西島さんが良くしてくれて立派な山台が出来た。
そして開演。
「末広狩」のあと、「狂獅子」。
狂わなくてすんだ、ホッとした。
その後の師弟対談。
休憩のあとは「勧進帳」。
今年最後にやる長唄ってなんだろ?
って考えたときに、「勧進帳」でしょって頭をよぎった。
まぁ、そうだわなと。
パルコから始まった今年一年、振り返ったらさまざまなことがあった。
ほとんど忘れちゃったけど。
さまざまなことがあったはずだ。
そして、最後に「勧進帳」をエイッと弾けるなんてのは幸せなことだと思う。
お客様もたくさん来てくれた。
いっつも集客でドキドキする「テツクロの会」。
今回もうれしい誤算で良かった。
みなさまありがとうございました。
打ち上げにもたくさん残ってくだすって感謝です。
六ショーゴさんに色々考えてもらって決めた今回の会。
感謝します。
家に帰ると、娘が猫を道連れにソファで寝ていた。


12月27日(土)日芸歌舞伎。
いやいや、寝た寝た。
狂獅子が終わってホッとしたんでしょうな、あっはっはーー。
さてと、今日は日大芸術学部の歌舞伎舞踊研究会の発表会。
今年の演目は「摂州合邦辻」、邦さんと僕とでちょぃと弾きますね。
午後に日芸に行き、リハーサル。
そういやあ、お腹がすいた。
そういやあ、今日、まだ、ご飯食べてなかった。
気がついたら午後4時だぜ。
オイオイ、いこーぜ、めしめしーーー。
鉄駒を連れて「太陽ラーメン」へ。
チャーハンもちょいと食べたいじゃーーん。
ギョーザも食うよなーーー。
ウイーー、食べた食べた。
その後、まったくお腹減らず。
午後9時に打ち上げ開始だというので。
本番終わって一度帰宅した。
打ち上げには自転車で。
ウチから江古田まで、左恵さんに日舞を習っているときは25分で通っていた。
今ではすっかり体力脚力ともにダウンして、40分近い時間がかかる。
ハーフーハーフーいいながら打ち上げ会場へと到着。
邦さんもちょうど来たとこだった。
今年も終わったのぅ、カブ研の諸君。
とにかく自分たちで公演をやる大変さ、芝居の面白さと難しさをとことん味わった一年でしたでしょうな。
ここに携わって15年。
今年も終わったかぁ。
なんだか自分のことのようにホッとした。
そして帰りの自転車。
体力の限界を感じるぞ。
こんなにしんどかったっけな。
人のことにホッとしている場合ではないぞーー。


12月29日(月)
今年最後のお稽古日。
いやいやいやーー、お弟子さんたちお疲れ様でしたなぁ。
それよりも増して、ワタシもがんばった、あははは。
当たり前だ、商売だろっ!
師弟というめぐり合わせっておもしろいもので、
それぞれの師匠を通して長唄の楽しさを知らなきゃいけない人たちがそこに集まっているんですね。
相性ってのがありますからね、立派な師匠だからって良いもんじゃない。自分と合った師匠じゃないとね。
だから僕ん所にもお弟子さんがいるわけでさぁね。
お弟子さんと会ってるのが何より楽しかったりしますねぇ。
ほんと、師匠業やってて良かったなぁと思いますわ。
その大事なお稽古も29日の18時をもって今年は終わりました。
ホッとしたわ。
そのホッとしているところへ、ドドドッと三七郎くんと五助くんがやってきた。
来年の1月、「長唄二題の会」に、新年ということでまたまたワタクシが出演するのですね。
出すぎちゃうか?
ま、うれしいけど、えへへ。
そこで「吉原雀」を弾くんですが、その稽古をするという。
何もこんなに押し迫ってしなくてもと思うのだが、そこが彼らのスゴイとこ、意気込みっちゅうやつですね。
弾きましたよ、ヨシワラ。
今年最後の長唄は「吉原雀」全曲でしたわ。
まぁ、最後までハードやねぇ。
テ「一杯飲むか?」
三「飲みますか」
五「まだ時間早いですからね」
テ「じゃ、外に行こうぜ、どっかその辺でいいだろ」
三「はい」
テ「しかしなんだなぁ、年末って感じだなぁ」
三「え?どこが?」
テ「いやいや、このあたりがさ、人通りも少なくてさ、シーンとしてるって感じがさ」
三「いやいや、いっっつも兄さんとこの近所は静まりかえってるよ、人なんか歩いてないもの」
テ「そんな田舎じゃないっ!」


12月30日(火)
昨晩よく飲んだ。
今日は休みだから目が覚めるまで寝ていようと心に決めてベッドに入ったが、
「ニャー」
という声で目が覚めた。
テ「まだいいだろ」
宇「ニャー」
テ「寝室に入ってきちゃダメだ」
宇「ニャー」
テ「・・・・・」
宇「ニャー」
テ「わかった。入ってきていいからニャーニャー鳴かないでくれ」
宇「ニャー」
テ「・・・・・・」
宇「ニャー」
テ「わかった。身体の上に乗るな」
宇「ニャー」
テ「・・・・・・・」
宇「ニャー」
テ「わかった、乗ってていいからニャーニャー鳴かないでくれ、まだ寝てたいんだから」
宇「ニャー」
テ「・・うっ・・・・」
宇「ニャー」
テ「乗ってていいから、フミフミするな、そこは喉だ。息がつまる」
宇「ニャー」
テ「耳元で鳴くな」
宇「ニャー」
テ「・・・・・・」
宇「ニャー」
テ「・・・・・・・・」
宇「ニャーニャーニャー」
テ「・・・・・・・・・・・・・・」
宇「・・・・・」
テ「わ、わかった起きるよ」
宇「ニャー」
テ「何時だよ」
宇「ニャージ」
テ「ん?今8時って言っただろ!」
宇「ニャー」
そんな調子で始まった今日。
掃除したり片付けしたり、銀行行ったりの一日。
合間合間にテレビ見て寝転がっている。
おーーーー、休日って感じだーーー。
いいぞーーいいぞーーー。
久しぶりの休日なんだーーー。
休んだぞーーーー。
夜、二階のテーブルでポーッと座ってた猫たち。
お前たちも休日だったな。


12月31日(水)横浜にぎわい座カウントダウン寄席。




いろいろ片付けしてたら出発の時間だった。
急いで地下鉄へ。
18時、にぎわい座に到着。
邦さんと舞台に行きサウンドチェック。
昨日今日と三味線弾いてないだけなのに、随分と久しぶりに弾く感じ。
カウントダウン寄席も今回で4回目。
今夜は出囃子を弾く仕事もいただいてる。
うれしいねぇ。
伝の会の出演が終わって、ちょいとした時間があったので、カップうどんを食べる。
トリはいつもの志の輔師匠。
噺が終わったら1日の0時3分くらいだった。
アハハハ。
年越しちゃったやん。
でも、みんなでもう一度カウントダウン。
一人一人抱負をしゃべったりして終演。
閉まった幕の中では、昨年最後の、そして今年最初の手締めを
ヨーーーッ
本年もよろしくお願い申し上げまーーす。

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