青?裸々な日常
2012年3月1日~
第196号 想像してみろよ、焼き鮭に白いご飯だけのテーブルを。



1日(木)
関内ホールの志の輔らくごに出かけた。
こうやってフラッと志の輔らくごに出かけるのは久しぶりのことだ。
志「なんか食べて帰れるだろ?」
テ「はい、いいんですか?」
志「ああ、今日なんにも食べてないんだ」
テ「あら」
志「なんか、調子がなぁ」
過酷な海外のあと休みもなく働いてる師匠、疲れがドッと出ているのだろう。
じゃ、休めば良いのかということになるんだが、僕もそうだが、休んじゃうとかえってね、というのがある。
だから走り続けた方がそこそこ楽なのだ。
志「高座にいるときだけしんどくないんだよな」
などとおっしゃる。
よくわかります。

この会は、昨年、震災の直後であったため、師匠の方から中止させてもらったという会。
志の輔師匠は一年待っていただいたお客さまの前に最初から出て行った。
そして三席、たっぷりの志の輔らくごだった。


2日(金)
今月最初の稽古日。


3日(土)
昨日が雨だった。


4日(日)
娘がダンスを習っている。
身体を動かすのが好きらしい。
運動がてらやってる感じだ。
今日が発表会なので観に行った。
楽しいことを目一杯やることは良いことだ。


5日(月)
今日はけっこうな雨。
休日となった。
やることがない。
ほんとはあるが今日あせってやることはない。
一日ぼんやりした。
昨日もそんな感じだったが。
二日間休養を取ったという結果になった。
あー、眠い。


7日(水) 沖縄稽古
1月以来の沖縄。
飛行機の乗り方も忘れるくらい久しぶり。
寝てて気がつかなかったが離陸が遅れたらしい。
まぁ、朝はラッシュだからな。
20分遅れて那覇空港に到着。
お稽古してカルチャーやって17時。
勝彦くんから留守電が入っていたので聞いてみた。
勝「どうもどす。いま首里城にいるんですが、もしやにーさん、沖縄にきてますかいな?」
なにっ!
勝彦くんが沖縄に?
似合わないぞ。
いやいや、似合う似合わないではない、
そういえば会があるんだとお弟子さんが言っていた、それに来ているのか。
テ「今、沖縄タイムスのカルチャーが終わったとこだよ」
勝「あやっ、やっばり沖縄にいるの?」
テ「そうよ、びっくりだな」
勝「ほんとよーー、ちょっと待って」
と電話の向こうから聞き覚えのある声が
「あっちゃん?」
テ「おー、ナベ(渡辺雅宏)さーん」
渡「沖縄にいるのーー?」
きゃーーはっははははは。
これは実におもしろい。
なんだか盛り上がった。
人に会う約束があるんだけど、一目みんなの顔見に行くべくタクシーに乗った。
テ「沖縄県立芸術大学まで」
運「えっ?」
驚いたことに、有名な場所なのに知らないらしい。
間違いなく現地の運転手なのに。
そんなことってあるんかい。
お弟子さんに電話して運転手さんと話してもらった。
それでも要領を得ないらしい。
そのうちお弟子さんが
「師匠、いま、かなり渋滞しているし、行って帰るだけにしても飛行機の時間が心配です」
と言う。
おおおっ、それはまずい。
うーむ、残念だが芸術大学はあきらめて、パレット久茂地に向かった。
久しぶりな方とご挨拶程度だがお会いして、空港へ。
ゆいレールにも久しぶりに乗った。

那覇空港。
いつも何か食べたいなって思うんだけど、どこのお店も入ったしなぁ。
最近できた回転寿司に行こうかなぁと思ったが、ええーいとやめてラウンジでビール。
機内でぐっすり寝て、羽田に着いた時にはやっぱり空腹だった。


8日(木) 大阪
彦根の会の稽古と打ち合わせのために新幹線で新大阪に向かう。
気がついたら名古屋の手前で止まっていた。
なんでも京都~米原間でアクシデントがあったらしい。
僕の号車には年配のご夫婦が二組とお勤めらしき人が3人くらい。
それぞれが様子をうかがっている。
年配のご夫婦のうち一組はヨーロッパからの方らしい、フランス語をしゃべっているので。
ご主人が僕のところにやってきて
「なにかありましたか?」
と丁寧な日本語で聞いてきた。
テ「よくわからないんですが、アクシデントがあったようです」
主「マイバラー?」
テ「そうそう、米原と京都のあいだで」
主「カゴシマ」
テ「おおっ、鹿児島まで行かれるんですか、『さくら』に乗るのかな」
主「シンオオサカーチェンジ」
テ「乗りかえてね。うーん、どれくらい遅れるか心配ですねー」
その後、車掌さんに尋ねてらした。
まぁなんとかなるでしょ。
一時間遅れで新大阪に到着。
主「メルシィー」
テ「お気をつけて」
と別れた。


9日(金)
今まで乗っていたヴィッツとお別れの日が来た。
2年半近く乗ったかな?
淋しいものである。


10日(土)
休みだったのですが、どうしたわけか
仕事をしました。
いやいや、びっくりです。
休みの日に仕事をするなんて。
仕事をしなくちゃいけない時にも仕事をしないのに。
大したもんだ。
えらい。
彦根と浜松で僕関係のライヴをやることになっていて、
そのための台本らしきものを作ってました。
いつもはその場で浮かんだこと言っているのに。
ちゃんとしてみようと思って。
まだ作っている。
一日作っている。

それから「チームてつくろ」のホームページの
「長唄メモ」の歌詞がドドーンと増えたのだ。
僕もがんばったのだ。
60曲くらいになったぜ。
よしよし。
いやいや、
珍しい日だ。


11日(日)
一年経ったのだ。

 
12日(月) 岡山稽古
10時くらいの新幹線、映画観たり眠ったり、いつものように岡山へ。


13日(火)
9時30分くらいに東京に戻ってきた。
家に帰り自主稽古。
「時雨西行」のワキ三味線を弾くことになっている。
国立稽古場へ。
無事に終わり帰宅。
しかし今日は眠くてしょうがない。
とにかく眠い。


14日(水)
鉄駒と鉄六に「吾妻八景」の稽古をつけている、横になって。
いつものことだ。
そして寝てしまった。
まだ寝不足なんだな。


15日(木)
妻が留守なので娘と夕食。
テ「どこに行く?」
娘「何があるの?」
テ「この時間(21時すぎ)だとお寿司とかだね」
娘「いいよ」
テ「あいよ」
娘「あっ」
テ「ああ」
娘「びっくりなんとか」
テ「うん、そこでもいいね」
娘「チーズバーグディッシュ」
テ「お前、びっくりドンキー行くとそれしか食べないな」
娘「うん」


16日(金)
朝7時に起きる。
娘を起こしてやらなければと。
意外にシャキッと目が覚めた。
寝不足は解消したのだろう。
昨夜は目がかゆかったと話したら娘もだったらしい。
花粉かぁ。

テ「夜ごはんどうする?」
娘「ママは?」
テ「夜ごはんまでには帰ってこないだろう。二人で食べることになる。ご飯炊くよ」
娘「そうだね、家で食べよう」
テ「何がいいかな?」
娘「何がある?」
テ「鮭焼こうか」
娘「ああ、鮭がいいじゃない」
テ「買いにいくぞ」

テ「何するんだっけ?」
娘「鮭焼くんでしょ」
テ「あっ、そうだ、おっ、あるある120円のうまそうだぞ、三つ買っておこう」
娘「うん」
テ「何にするかなぁ」
娘「鮭でいいじゃん」
テ「鮭は買ったよ、120円」
娘「値段はいいだろ」
テ「鮭だけってのがな」
娘「どういう意味?」
テ「想像してみろよ、焼き鮭に白いご飯だけのテーブルを」
娘「さっぱりしてるね」
テ「朝食のバイキングでよっぽど食べるもんが無かった時みたいだろ」
娘「はははは」
テ「野菜とかさ」
娘「ああ」
テ「もやし炒めは合わないよな」
娘「違うよね」
テ「何が合うんだ?鮭と」
娘「鮭焼くだけでいいんじゃないの」
テ「鮭でな」
娘「うん、鮭焼くだけで」

テ「あ、うまそうじゃん」
娘「なにが?」
テ「サイコロステーキ」
娘「あ、焼いてみようか」
テ「安いなぁ、おいしいのかなぁ?」
娘「いいんじゃないの鮭焼くだけで」
テ「ん?」
娘「鮭焼くだけでさ」
テ「そうだな」
娘「鮭焼くだけで」
テ「鮭な」
娘「鮭焼けばいいよ」
テ「どんだけ鮭好きな親子だ!」


18日(日) 三味線かとう 伝の会
日曜日か。ものすごい二日酔いだ。
なにしても醒めないくらいの。
打ちっぱなしに行きたいが、日曜日だから満員だろうと。
とりあえず行ってみるがやっぱり満員で。

三味線かとうさんとこでライヴがある。
しんどいから車で行こうか?
いや、しんどいから電車がいいのか。
結局電車で行く。舎人ライナーに初めて乗った。
伝の会は先月の日本橋以来だ。楽しかった。
これからも伝の会は見て行きたい。やってる方の人間なんだけど。
だけど、伝の会は見て行きたい。だっておもしろいもの。


19日(月) 温知会
良い天気となった今日。
中学校の卒業式だった。娘もついに卒業である。
式典に出席する。母校の校歌を三年ぶりに歌った。
時間ぎりぎりまでいて、国立劇場へ向かう。
温知会。
お腹が減ったが食事する時間がない。
「時雨西行」。
そのあとの番組もしっかり聴かせていただいた。
勉強になった。


20日(火・祝)みずほ文化センター公演 長唄三味線ライヴ 彦根 
朝、新幹線の乗り場で三七郎くんとばったり会った。
「どこ行くの?」「ご一緒に」
ということで、二人で隣同士で米原に向かう。
彦根の会館に着くと北本と八洲子さんは到着していた。
唄一人・三味線二人・囃子一人で2時間やろうと。
考えた台本でメンバーも納得してくれたので着々とリハーサルを。
結構盛りだくさんな感じになっている。
そして開演。
なかなかにうまく行きました、ええ。
こりゃ良かったです。
彦根のスタッフと色々やるのは三度目となります。
みんな気持ちの良い方たちでありがたいです。
打ち上げでちょいと飲みすぎたかな?

帰りは名古屋で三七郎くんと別れました。
彼は帰京、僕は浜松へ。
浜松着いたら気持ちが悪かった。
酔ったのですな。


21日(水) 浜松稽古
稽古日。
12月のお浚いのための曲も決まり、その稽古が始まっている。


22日(木)
久しぶりにゴルフだ。
気分的には一か月以上していない感じだが、
調べてみたら20日ぶりだった。


23日(金)
今日は昨日と打って変わって肌寒い。
僕は昨日から目がかゆい。
肌寒くても目がかゆい。
雨が降っても目がかゆい。
良い天気ならいざしらず、なんだか損をした気分だ。
お稽古日である。
そろそろ来月のお稽古日を決めなくてはならんぞ。


25日(日) 松永鉄九郎ライヴ 浜松
糸井重里さんの「ほぼ日」がやる、気仙沼での志の輔らくごの日。
僕の浜松のライヴと見事にバッティング。
鉄六に行ってもらいます。
志の輔さんたちが乗るのは7時ちょっとの東北新幹線。
僕が乗るのは8時過ぎの東海道新幹線。
ちょいと早めに東京駅に行って、お見送りをした。

そして浜松へ。
すぐに三七郎さんと晴久さんの乗った新幹線も着いた。
駅で合流し会場へ。

はてさて、浜松のエンボスさんが僕のライヴをしてくれると言う。
いやいやびっくりですよ。
伝の会ならいざ知らず、いやいや
伝の会をやってくれるということだってありがたいのに。
最初に聞いたときには耳を疑ったね。
「えっ?僕のライヴ?」
「鉄九郎のわがまま」とかやってるけれど
あのこじんまりとした空間は独特だからなんとかなっているのであって
ちゃんとやるっていうことは、いやいや
「鉄九郎のわがまま」をやっている空間だってちゃんとしてるんですけど、
なんて言うか、うーーん
あのアットホームな感じとはちょいと違うっていうか、
いや、その意気込みとして、うーーん
なんて言えばいいんだ?
あ、わかった。
「鉄九郎のわがまま」は僕の企画で僕がやってるからね。
それと、エンボスという大きな会社が僕のライヴをやるっていうのとは
精神的に違うわね、
「鉄九郎のわがまま」は「わがまま」な会だから
「自分さえ納得できれば良い」という、ま、それも失礼な意見だけど、
つまりその、うーーん
なんとなくわかるっしょ。

そんなこんなでひとりじゃ持たないので、
助っ人として三七郎さんと晴久さんにご足労願った。
この二人がいれば大丈夫である。
あとは内容だ。
やってみようと思うことがお客様に理解していただけるかってことだ。
ある意味チャレンジな会である。
リハーサルをしながら細かなところを作っていく。

ヨシッ、これで良いだろ。
多分面白いはず。多分聞きごたえもあるはず・・・なんだがな。
おいしい洋食を御馳走になる。
そして本番。

ウケた。

お客様たちがこの企画を受け入れてくれた。
これはなかなかのことだ。
おいしいお酒を飲んだ。


26日(月)
夜に帰京。
酔っ払った。


27日(火)
稽古日。


28日(水)
また浜松に来ている。
今月三度目。
今日は、以前、楽器博でやった伝の会のライヴ関連のことで。
楽器博物館の中で撮影。
夜は久しぶりに邦さんと飲む。

29日(木) 中村獅童チャリティートークショー
獅童さんのトークショーを手伝っている。
三度目かな。
今回は京都で。
12時前にホテルに着く。
軽く打ち合わせをして13時スタート。
喋って喋って14時30分終演。
東京に戻る新幹線に15時ちょいに乗った。
驚くね。
もう仕事終わって新幹線。
まだ夕方前だぜ。
獅童さんはこれから稽古。来月の忠臣蔵の。
僕は巣鴨に向かおう。
しかし驚く。
夕方に東京に着いてしまうぜ。

今日は志の輔らくご巣鴨の会を昼夜やっている。
出囃子は鉄六に任せてある。
打ち上げの時間くらいには着く感じかなと思っていたので
夜の部の開演18時30分に間に合うなんて
こんな早いのはちょいと恥ずかしいものだ。


30日(金)
夜、忠次郎くん宅へ。


31日(土) 仙台
妻の父親の納骨のために仙台へ。
思ったより暖かい。





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