青?裸々な日常
2009年11月1日~
第169号 稽古と文都さん



11月1日(日)伝の会 本公演
銕仙会。
20年くらい前に行ったことがある。
よく覚えてますよ。
なにせ、表参道のギャルソンの先だし。
内弟子から6年間は西麻布に住んでいたので、銕仙会の辺りは庭のようにフラフラしていたところで。
昼夜2回の伝の会長唄演奏会。
能舞台でやるということで、いつにも増してピリッとしますね。
邦さんが「勧進帳」を演奏するというので、
じゃ、義経の若いときということで「鞍馬山」にしました。
たくさんのお客様に来ていただき感謝です。


11月3日(火)伝の会 新宿編 昼夜公演
ずーーっとライヴだったり仕事だったりで毎晩の飲みが続いている。
これはさすがにヤバイ。
そうは思っても、そうもいかない事情もあり、また、それが重要なものだったりもするので、大変なまま来ております。
でも、忙しいのはありがたいことです。
どんどんいろんな輪が広がるというのもうれしいことです。
そして、今日は4年くらい続けている伝の会新宿編。
続くとは思わなかったブラックサンでのライヴ。
ここのライヴがまた面白い。
今日は初めての昼夜ライヴ。
最初の曲弾き始めたら、まぁ、気持ちの良いこと。
絶好調ですわ、伝の会。
特に、ここは音が気持ちよいので、楽なのです。
昼終わって、邦さんとラーメン食べたらもう夜のライヴ。
この、なまじ休憩時間が無いところも良かったようで、
感覚では、4時間ライヴをワーッとやったみたい。
終わったらさすがにガクッと来た。
でもでも楽しかった。
これは良い疲れ。
明日はちょぃとゆっくりなので、
目が覚めるまで寝るぞーーー。
そうは思っても意外に早く目が覚めちゃうんだよなぁ。
今朝もそうだった。
お昼まで寝てていいくらい時間があるのに、起きたら9時過ぎだった。
齢なのかしら。
まちがいなくそうなのだろう。
ガッカリして仕事部屋に入って携帯見たら、電話が3件もかかってるというメッセージが。
あれっ?
と調べたら、全部「志の輔さん」と出ていた。
8時台に3回。
やっぱり、スッゴク疲れてるのに早起きしてしまう人発見。


11月5日(木)テツクロの会 in 庚申塚 第五回
もう5回目になったテツクロの会。
今夜のゲストはチャーリーご夫妻(忠七郎&鉄文智)と笹岡由希さん。
まぁ、メインはチャーリー夫妻だな。
三味線方の旦那と唄方のカミサン。
このコンビでなんかやってもらいたかった。
「秋の色種」に決まったんだけど、なかなかのものでした。
ウチの流派で言うと、チャーリーは年上の弟で、
いい味してる人間で、それが三味線にも表れている。
最後にみんなで演奏した「娘道成寺」も気持ちが良かった。
みんなの息が合うと、良い演奏が出来るものなんだなと思った。
これが合同演奏の難しさと楽しさなんですな。
今月に入って一日置きにライヴをやらせていただいている。
いやいやありがたいことだ。
明後日は那覇での、これまたおもしろいライヴが待っている。
とりあえず明日朝の飛行機に乗り遅れないように。


11月6日(金)那覇
昨夜遅く帰って、荷物を整理する間もなく、今朝は早くに出発。
いつもの8時ちょいとの飛行機で那覇へ。
国立劇場の稽古場の前に着いたら、チャーリー夫妻から電話。
昨日(テツクロの会)は楽しかったとのこと。
うれしいです。
出演してくれて喜んでもらえて。
チャーリー夫妻とは長い付き合い、なんつったって結婚式仕切って司会までやったんだから。
身内も身内。
この唄方と三味線方のコンビで、なんか演奏してもらいたかった。
「鉄九郎さんもお疲れになったでしょう」
と、チャーリー夫人のなち子さんが言う。
テ「いやいや、楽しいからね」
な「だって鉄九郎さん、明日とかには沖縄に行くんでしょ」
テ「いやいや」
な「行かないんですか?」
テ「今もう来てるよ」
な「えっ!?」
テ「沖縄の国立劇場の楽屋口だぜ、今」
な「わーーーっ」
テ「うるさいっ!」
な「ねーーーっっ(たぶんそこらにいるチャーリーに向かって)、鉄九郎さん、もう、いま、沖縄なんだってーー」(妙なイントネーションでお読みください)
テ「耳がいてーよ」
な「ほんっとーにぃぃ?」(へんなイントネーションで)
テ「ほんとだよー、Tシャツ一枚で日差し浴びてるよ」
な「え?ズボンは?」
テ「はいてるよーーーっ!当たり前だろーー。Tシャツ一枚ってのは、暑いとこに来てるって意味だーー」
な「あー、そーいうこと」(インチキなイントネーションで)
テ「ほかにあるかーー!」
チ「沖縄ですってー?」(さらに妙なイントネーションで読んでください)
テ「うん」
チ「レバニラ炒め食べたんですかーーー」(レバニラをレバノンのイントネーションで)
テ「うっ、これからだよーー」
チ「沖縄行ったら、ほかにいろいろあるじゃないでしかーー」(あるじゃないですかをナイジェリアの感じで)
テ「うっ、こっちのレバニラはおいしいんだよ」
チ「ははははは、それじゃーー」
テ「なんなんだよっ!」(ごくせんの感じで)
なんともわけのわからん夫婦だ。


11月7日(土)文化講座第三弾「日本舞踊の魅力」
今月に入って1日の本公演、3日の伝の会、5日のテツクロの会、
そして今日の文化講座。
一日置きに、まったく毛色の違うライヴをやらせていただいている。
「アタマ、ヘンになりませんか?」
と、ちょいちょい言われます。
もうヘンなのです。
すでに、ヘンなのです。
でもね、実は僕は大したことないんです。
一番大変なのは、公演を仕切ってくださってる人なんです。
今月の一日置きのライヴにしたって、僕が仕切っているものはただの一つもないんです。
出演するだけ。
だから出来るんでしょうね。
段取りしてくれて仕切ってくれるスタッフの人たちがしっかりしてるから、あたしゃ、エヘラエヘラとしていられるんだとつくづく思うのです。
この文化講座もそうなのです。
プロデューサーから舞台監督から音響照明にいたるまで、大好きな仲間たちが仕切ってくれているので、ボーっと楽屋入りをすれば良いのです。
舞台監督「眠たいんですか?」
テ「えへ、ちょぃと」
無「これだけ決めたら寝てていいっすよ」
テ「エヘラー」
こんな感じ。
今回は若柳美之介先生。
沖縄の人なんだけど、小学生の時から東京の若柳の家元んとこに内弟子に入られ、沖縄に戻り日本舞踊を広めていらっしゃる方。
喋ってると沖縄の人って気がまったくしない。
江戸前です。
見事なもんです。
だから不思議な感覚なんです。
東京ならなんとも感じないんだけど、沖縄で、どこに出かけるのも和服で、江戸前で過ごしてらっしゃる、でも、沖縄の人。
アタマこんがらがる・・・みたいな。
企画段階でお会いしたときから僕はいろんなお話を聞きだしていました。
先生が内弟子に入った頃って昭和30年代っす。
昭和30年代に、沖縄から東京へですよ。
那覇から赤坂っすよ。
パスポート持ってね、お金も違うんですよ。
小学校6年生くらいから20歳ちょい前まで内弟子で赤坂へ。
まぁ、ワタクシ、興味持っちゃってね。
で、また、先生がものすごいガッツの持ち主で、踊って喋って踊って喋ってとしてくださったのです。
まぁ、楽しかったですわ。


11月8日(日)
一日置きライヴからすると今日はオフなんだけど、
さすが、沖縄、だまってワタクシを休ましておくこともなく、
30分のライヴをすることになっていました。
いわゆるエイギョー。
僕も執筆している沖縄タイムス、こちらが定期的に開催している講座がホテルであって、その講座の前に気の利いた音楽を演奏するっていう枠があるんだそうで、
そこに僕がパコッと納められたのでした。
今日の講座をする人は阿木耀子さん。
お客様はハイソなご婦人たちが700人とか800人とかいらっしゃる。
うーーん、俺でいいのか?
ま、いいんだろーな。
うれしい限りですね。
どーなんだろ?
と思って舞台に登場するワタクシ。
一曲弾いてしゃべりだす。
まあまあ、沖縄ってこんな感じだよなぁと思いながら話していると、だんだん火がついてきた。
ものすごく集中力のあるご婦人たち。
長唄とか、どんどん吸収していく。
いやいや、驚いた。
「さすが沖縄タイムス!!僕も書いてます!」
の一言に
「読んでるわよーーー!!」
うううう、カンドー。
なんか、初めて、あたしゃ、新聞に連載してるんだって実感が湧いてきた。
うううう、良かった良かった。
舞台を降りていくバックに司会者さんの声
「松永鉄九郎さんの素晴らしい演奏でしたーーー。けっして、お笑いではありませーーん」
ドッカーーン。
司会者まで笑いを取り始めた。
おそるべし、沖縄タイムスのイベント。
あー、楽しかった。


11月10日(火)
9日と10日は稽古日。
12月19日に、邦さんと僕んとこの合同お浚い会「てんの会」がある。
その稽古が本格的に行われ始めていたり、
出ないお弟子さんたちもいますからね、その方たちのお稽古も普通につけていますよ。
そして、お稽古体験をしている人が3人ばかりいますからね。
とまあ、いろいろとバタバタしている。
体験していた子が「入門しまーす」となった。
うれしいですね。
その人、「お三味線やろーと思うのですが」と勤め先で言ったら
「ウチに誰かが使っていたお三味線があるわ」と言う人が3人も現れて、あっと言う間にお三味線が三つ、手元に集まったという。
いるんですねぇ、そういう人が。
なんつーの、運を持ってるというか、物が集まってくるというか。
実にうらやましい。
人生、ついていきたいですな。
だから、その子が「お弟子にしてください」と言った途端に
「僕も弟子にしてください」と言いましたが。
そんなお稽古の2日間。
天気が良かったせいか、宇太が稽古場に来ちゃあ座布団に横になっていた。


11月11日(水)
チッチャな庭があるんだが、引越してきたときに芝生にしてもらった。
日当たりが良いのと手入れをおろそかにしたことで、
その芝生はあっと言う間にダメになってしまった。
5年前のことである。
あの時はなんとも思わなかった。
しかし、今、ゴルフを始めた僕にとって、庭が芝生だなんて夢のように素晴らしい。
だって練習できるじゃーん。
こないだ志の輔さんとゴルフに行ったとき、グリーン上で師匠がキャディさんに「この芝は何?」と聞いていた。
えっ、芝生にいろんな種類があるの?
と思った僕は、食事の時に師匠に聞いてみた。
いやいや目からウロコだった。
芝にいろんな種類があるとは。
芝は芝なのかと思っていた。
それから芝をいろいろ調べてみた。
そんな毎日を過ごしているうちに、我が家の庭を再び芝生にしてみたいとの気持ちが湧き上がってきたのだった。
そしてそして、9日の日に、ついについに、業者さんがやってきた。
朝からカッカカッカと庭を耕し芝生をはってくれた。
いやいや、稽古の合間合間に見た、作業する彼らの姿はキラキラしていたなぁ。
そしてついに完成。
やったーーー。
早くパターの練習をしたいが、砂とかまいてあるし、まだ出来る状態じゃない。
それでもうれしくって、夜遅く、こっそり打ってみたりした、イヒヒ。
そっかぁ、もっともっとなめらかにしなくちゃいけないんだなぁ。
ま、ともかく、しっかり根をはってくれて、早く、芝刈りをしたいものだ。
けれども、これから枯れていく季節なんだよなぁ。
娘「芝生にしたんだね」
テ「へへへ、そうだよ、へへへへへ」
娘「気味悪ーい」
テ「芝生だぞー寝っころがって遊べるぞ」
娘「いやいや」
テ「そりゃそうか、もう、庭で遊ぶ年頃じゃないもんな、いやいや、そのほうがありがたいありがたい」
娘「寝っころがるのはいいけどさ、服がね」
テ「服の問題ではないのだ。とにかく、この芝生はグリーンにするんだからな」
娘「もっと緑にするってこと?」
テ「えっ?」


11月14日(土)
岡山空港。
放送がなんか言った。
え?
1時間遅れますぅ?
なにが?
僕の乗る予定の飛行機が飛び立つのが。
ほほぉ、やるなぁ。
なかなか。
1時間遅れて離陸するってか。
うーーん。
ということで、1時間遅れで飛び立とうとした飛行機はさらに30分遅れて羽田に着いた。
ここから「エフエム世田谷」に行かねばならない。
えっと、どうやっていくのかしらん。
品川に出ても浜松町に出ても同じくらいだ。
ここんとこラジオづいているが、コミュニティFMに出るのは久しぶりだわ。
お正月番組だと言うので、志の輔パルコ間近という感覚で録音。
一度帰宅してすぐにまた出発。
なんと慌しい。
日芸の歌舞伎舞踊研究会の発表公演が12月にある。
その演奏を毎年任されている。
しかし、今年その日は「てんの会」の下ざらいとぶつかっているために、僕は行けない。
ウチの一門も全員「てんの会」出演なので行けない。
うーーん。
悩んだ末にひらめいた。
今は三味線方をお休みしている、僕のお弟子の中で唯一の男性の名取、鉄平。
彼は日芸出身だし、適役じゃん。
都合よく、その日は空いてるというので、彼にお願いすることにした。
松永鉄平、数年ぶりに三味線弾き復活である。
で、カブ研(歌舞伎舞踊研究会)の練習を鉄平と見にいくことになっているのだ。
これはこれで楽しい時間だった。
ふーー。
やっと帰宅。
ニャーニャー。
テ「おう、ただいま」
宇「ニャーー」
テ「はいはい、ご飯なんですな、了解だよ」
伽「ニャー」
テ「よっ、伽羅、ただいま」
伽「ニャー」
テ「ああ、妻や子は出かけたってんだろ、知ってる知ってる」
伽「ニャー」
テ「はいはい、知ってますよ、札幌に行ったんだよ」
伽「ニャー」
テ「お前にはわからないとこだよ、ずっと北の方」
伽「ニャー」
テ「うん、そうそう北ってーと、お前が今座ってるとこよりトイレ側ってことだ」
伽「ニャー」
テ「トイレに行ったんじゃない、札幌だ」
伽「ニャー」
テ「だから札幌ってのは・・・うんうん、説明は無理だからな」
伽「ニャー」
テ「そうなんだ。とにかく3日ばかり、人間は俺しかいないから」
宇「ニャー」
テ「ああ、そりゃそうだよ。俺だけってわけじゃない。明日になればお弟子さんたちが次々来るよ。大丈夫だ、淋しくはないから」
伽「ニャー」
テ「あー、大丈夫だ。お前とも遊ぶから」
伽「ニャー」
テ「そうだ、嵐だよ。よくわかるなぁ」
伽「ニャー」
テ「今夜や明日は札幌に嵐ファンが10万人から集まるんだよ」
伽「ニャー」
テ「10万人ってのはさ・・・・うーん、やめとこうよ」
宇「ニャー」
テ「そうだ、うまい。伽羅!いま、宇太の言ったとおりだ。たくさんの人間ってことだよ」
宇「ニャー」
テ「そうだそうだ。宇太いいぞー。よく言えた。お前は良い子だ」
伽「ニャー」
テ「あ、うん。そりゃ、伽羅も良い子だよ」
伽「ニャー」
テ「あ、はいはい。伽羅が良い子だ、これでいいか?」
伽「ニャー」
テ「あ、『これでいいか?』が余計だったか、あ、うんうん。わかったわかった」
宇「ニャー」
テ「おお、そうだ。宇太がうまいこと言っ・・・・あ、いやいや、伽羅が良い子だ。はいよ、ヨシヨシ」
なことやってるうちにお腹がペコペコになった。
マーケットに行くと、一人用のおでんが売っていた。
へぇ、こういうの売ってんだーー。
おだしもついてる。
ということで、作る。
なんだか、物足りないのでゆで卵を作って足してみた。
まだもの足りない。
明日は、チクワブとかツミレとか買ってこよっと。


11月15日(日)
お稽古日。
日曜日なのに、意外に空いてる。
お稽古日って、混んでるときと空いてるときがあるんです。
そりゃ当たり前に聞えるかもしれないけれど。
ま、当たり前っちゃ、当たり前かぁ。
僕の東京のお稽古日は、月に6日から10日くらいあります。
その日にちの中から、お弟子さんが「○日の▲時」と予約していくシステムなんです。
月に4日くらいの稽古日だったら、その4日間ビッチリ埋まるというのはわかるんだけど、10日間もあるのだから、平均されるかなぁと思いきや、やっぱり予約の多い日は多い。
少ない日はパラパラっと。
おもしろいもんですなぁ。
まあ、曜日も関係してんのかな。
美容院とかもそうだったりするって言うからな。
大したことじゃないか。
でもでも。
今月は9日間稽古日があるんですが、
混んでるも空いてるも無いという、満遍なくいらっしゃるという、なかなかありそうで無い月なのです。
それが言いたくて、「日曜日なのに、意外に空いてる。」と書いたわけでした。
はあ、理屈っぽい。
理屈になってねーか。


11月16日(月)
この3日間。
おでんばっか食べた。
食べすぎ。
しかも、おだしがドンドン足されていって、醤油が濃くなってきた。
醤油とりすぎ。
顔がむくんできたぞ。


11月17日(火)
今日も稽古日。
てんの会が一ヶ月後に迫ってきた。


11月18日(水)
寝坊した。
5時30分に起きるつもりが6時30分だった。
7時の新幹線に乗ろうと思っていたのに。
8時に変更して出かける。
浜松。
快晴。
すごいねぇ、良い天気でさーね。
午後からお稽古。
終わって20時前。
宴会。
最終の新幹線に乗る。
うーーむ、楽しいけどハードだ。
来年からはなるべく日帰りはよそう。
確かに、
本人、
ハードなスケジュールを組みたがってるフシがある。
「こんなスケジュール組んだぞーー、へへへ、こなせるかなぁ?」
と言う僕がいる。
そして、
「はははは、こなせちゃうんだもーーん」と強気に出て一生懸命こなす僕がいる。
この僕同士の遣り合いを、これ以上エスカレートさせてはイカンぞと。
来年からは、ちょいと余裕を持っていこっと。


11月19日(木)
お稽古日。
寒い。
びっくりするほど。
そっかヒートテックかぁ。


11月20日(金)
昼間ちょいと出かけたついでにヒートテック買って帰る。
夕方からドーンとお稽古。
21時に終わったので、庚申塚スタジオフォーの志の輔さんの会に。
今夜は文都さんを想っての会だと言うので、せめて打ち上げだけでもと出かけた。
お客様を交えて文都さんの思い出話を志雲さん全楽さんが話してるところだった。
その後、三階でもう一度打ち上げ。
文都さんの思い出(というか、亡くなった実感が、皆にあまり無いのだが)は尽きない。
志の輔師匠も「どっかで区切りをつけないことにはどーにも・・」
と言っている。
そりゃそうだ。
すぐ下の弟弟子。
毎日のように電話してきて話してたんだし。
ここんとこ、毎晩遅いので、今夜は出かけるのよそうかと思っていた。
でも文都さんが「てっちゃん来てや」と言ってるようで。
出かけて良かったよん。


11月21日(土)べらぶら IN 千葉と志の輔らくご 21世紀は21日

昨夜も結構遅かった。
今朝は早起き。
なんかフラフラしながら電車に乗る。
千葉まで行くのです。
喬太郎さんと伝の会が新宿でやっていた「べらぼうにぶらぼう」が
千葉で一回公演することになったのです。
ドヨーンとしたまま、千葉駅から会場に着くと、
ドヨーンとした三人組がドヨーンといました。
喬さまご一行です。
「おはよーございまふ」
「おはよーごあいまう」
挨拶して楽屋へ。
伝の会がやって喬さまがやって、休憩後に二組のコラボレーションという形。
これまではお芝居やったんですが、今回はもうちょいと軽めのやつ。
その打ち合わせに一番の時間を割きますね。
というか、その打ち合わせのみしますね。
いざ開演。
千葉市文化センターはなかなか素晴らしい会場で
良いお客様のおかげで
楽しい会となりました。
「べらぶら」を終えたワタクシは、着物姿のまま、お弟子とともに一路新宿に向かうのでありました。
「志の輔らくご21世紀は21日」の日なのです。
なんと、今夜が最終回。
今年最終ということでなくて、最終回。
2000年の1月に始まったこの会、2000年は「志の輔らくご20世紀は20日」というタイトルだったのです。
今年で丸10年。
毎月毎月やって来られたのですねぇ。
僕が最初にかかわったのが、2000年の初めの頃、ロビーゲストとして忠一郎くんと二人で小一時間弾きました。
それからロビーゲストを3回か4回やったろうな。
2004年の12月末のパルコ公演の「歓喜の歌」に感動して、
「この人のそばにいなきゃ」と思い手紙を書き、翌年の
2005年1月の「志の輔らくご21世紀は21日」から出囃子を弾くことになったのでした。
そしていつの間にか、鉄六・鉄駒・鉄七たちにも出囃子を弾かせるようになったのですわね。
それもこれも、志の輔師匠との今のようなお付き合いの発端は、この会から始まったのでした。
その会が今夜で最終回。
実に感慨深いですね。
特に、この会は松元ヒロさんが最初からのゲスト。
つまり志の輔師匠とヒロさんの会なのですね。
ファンの方たちの多くが悲しむのは、志の輔師匠とヒロさんが一緒の舞台に出るこの会が終わるということなんですね。
でも、しかし、実に。
よく10年間やってきたなぁって。
10年って。
その年の最後の公演の時には、志の輔師匠とヒロさんが高座に上がり手締めがあるというのも恒例でした。
2005年からは僕も呼んでくれて3人で手締めをさせてもらいました。
なんだか、夢心地の一瞬なのです。
今夜は志の輔師匠とヒロさんのおしゃべりの後、楽屋にいらしてた談春さんと一緒に高座に上がりました。
4人で高座に並び、最後の手締めをしました。
打ち上げ会場に行く時に外に出たら、熱気でボーっとしてた頭もはっきりしました。
「ああ、終わったんだな」
と思ったら、肩の力がスーッと抜けていくのがわかりました。
そういえば、ここで弾く「中の舞」が、いっつもドキドキしていたのです。
恐くて恐くて。
2005年に弾きはじめた頃のトラウマかと思うくらいに。
他で弾く「中の舞」は、別にさほどじゃないのに、ここの会では恐かったのです、そういえば。
それから解放されるってことなのかなぁ?
とにかく肩の力が抜けて、ちょっと軽くなったようでした。
打ち上げで志の輔師匠は
「何がイヤで止めるのでもありません。単なる自分のわがままです。
ここで一度、区切りをしないと20年続けそうなので」
と、おっしゃってました。
なんか、そのとおりだと思いました。
「ただ、この10年間支え続けてきてくれたスタッフたちと一度、解散しなくてはいけないことが辛いです。この会をやめてしばらくしたときに、この会の大きさや重さがわかるような気がして」
とも、おっしゃってました。
そのとおりなんでしょうね。
何かが終わるということは、何かの出発なんですね。
昨日、庚申塚の志の輔さんの会で、志の輔さんが最後に
「文都の天国での新しい生活を祝して」と目を真っ赤にして三本締めをした。
その年に、この会が終わるというのも、不思議な感じがする。
さて、僕も次の出発をしよっかな。
いやいや、当分はこのままだろうな。
とりあえず、明日明後日の勝彦くんのおさらい会の頭にしなくっちゃ。


11月22日(日)彦音会
いやはや、昨夜も盛り上がったので起きるのが大変かと思ったら、
意外や意外、スックと起きたのであった、パチパチ。
今日は明日の仕事の下ざらい。
曲を浚って行かなきゃいけない。
明日は、勝彦くんのお浚い会なのです。
「おっ」という曲を弾くことになっていて、その一曲が「宝船」。
あたしゃ、この世界に入って30年近くになりますがね、
「宝船」っていう曲があることは知ってるんです、ええ、譜本にありますから、ええ、でもね、一度も聴いたこともなければ弾いたこともない曲なんですね。
僕の中では「タイトルだけの曲」という括りに入っている曲でしたが、
この年になり、めでたくこの曲に真正面から取り組むことができたのであります、
はははは、いやいや、ありがたいありがたい。
はははは、ありがたいのです。
ねぇ、ははははは。
いつ稽古するんだっつーの。
しかし、ワタクシ、今朝ちゃんと稽古しました。
あったりまえやっ!
そしたら、なんと、良い曲ではありませんか。
この曲、なんで出会わなかったんだろって思うくらいに。
それと同様なのが「えにしの橋」。
以前、長唄協会で弾いたことがあるっていうことは覚えておりますが、それっきり。
この曲もね、実に良い曲なんです。
杵勝らしさがあってね。
いやいや、この二つの曲を弾かせていただくのはうれしいですわ。
それとあと、三、四曲弾くわけですね。
あさ、10時に国立稽古場に入り、下ざらいが終わったのが21時ちょぃと前でしたか、なにせ、37番ありますからね(僕はその中の五、六曲を弾いたりするわけですね)。
いやいや、久しぶりに長唄にどっぷりの一日でした。
下ざらいが終わるとホッといたします。


11月23日(月)
昨夜寝る前にビールをコップ一杯飲んだだけなのに、今朝起きたらかるーい二日酔いだった。
やばっ、疲れてるぞーーー。
エッチラオッチラ、国立劇場へ。
10時過ぎに入りました。
勝彦くんのお浚い会当日。
まあこうやってたくさんの長唄の仲間や師匠や先輩後輩と一日いられるのは楽しいです。
僕は栄津三郎(杵屋)さんが好きなのです。
お芝居(歌舞伎)の方です。
随分お世話になりました。
ウマイし、人は良いし。
素晴らしい歌舞伎座のタテ三味線です。
久しぶりに栄津三郎さんの隣りで弾けたのはうれしかったですねぇ。
松竹歌舞伎の中に邦楽チームが二つありましてね、栄津三郎さんは伎楽会というチームのタテ三味線。
もうひとり僕が大好きな「三郎」さんは伊三郎(柏)さん。
昨日国立の楽屋口でバッタリお会いしました。
最近では滅多にお会いすることがないのです。
伊三郎さんは、もうひとつのチームの菊五郎劇団のタテ三味線。
あ、ウチのチャーリー(忠七郎)の上司にあたりますな。
ちょいとゆっくり立ち話が出来たのがうれしかった。
自分の長唄人生の歴史を感じますな。
しかし、勝彦くんは偉い。
最近、こんなに立派なお浚い会を開ける人は少ない。
しかも、この若さで。
ほんとに頭が下がります。
楽しい2日間でした。


11月24日(火)お稽古日
7時すぎに起床。
フーッ
昨日の疲れはさほど残っていない。
というか、全くない。
なんか、やっと終わったって感じがするからかなぁ。
精神的に解放されたのかなぁ。
明日からは那覇・琵琶湖・桜木町っていう感じで続くんだけど、
まぁ、とにかく一度ホッとしておこうということなのか、なんかホッとしている。
今日はお稽古日。
9時開始。
最初のお弟子さん、エジプトに行ってらしたとか。
ピラミッドやスフィンクスの話を聞く。
行った人の話を聞くのって楽しい。
自分も見て来た感覚になる。
エジプトかぁ。


11月25日(水)タイフーンFM
よっしゃ、沖縄に来たぞ。
しかし、飛行機に乗ってる時間が長い。
2時間30分。
冬は風向きがどうとかで時間がかかる。
しかも朝のラッシュで、なかなか飛ばないし、結果3時間くらいは飛行機に乗ってるのだ。
退屈で退屈で。
けど、那覇空港に着いた途端に、「よっしゃー」という気分になった。
暖かい。
東京のここんとこの寒さから脱出できた。
それで、まずは何すんの?
ラジオ。
ラジオでっか、はいはい。
最近ラジオ多いなぁ。
FM那覇。
ここのラジオの良いところは、ポッドキャスティングといって、とにかくインターネットで聞けるということだ。
つまりは全国から好きなときに聞けるという。
こりゃいいねぇ。
だから、ヘンなこと言えないぞって思って出演するんだけど、いつもグダグダになる。
今回も、騒いでおります。
http://www.fmnaha.jp/podcasting_each.php?program_id=33
2009年11月25日【ヒトワク 091125長唄三味線奏者 松永鉄九郎/『MATSUNAGA TETSUKUROH vol.12』のお知らせ】


11月27日(金)琵琶湖の近所
昨日、志の輔師匠が那覇にいらしたので、ご一緒していた。
やけにおいしいワインの店に行き、白飲んで赤飲んで、また白に戻ってみたいな。
まぁ、飲んだ飲んだ。
今夜は那覇で志の輔らくごだが、私は琵琶湖のほとりの木ノ本で仕事。
6時前に起床。
結構ワイン飲んだのに、二日酔いじゃないぞ。
睡眠時間も少ないのに・・・。
よっぽど良いワインだったんだなぁ。
やはり早起きをしている師匠に電話したら
「俺もギリギリ大丈夫だ」と言っていた。
ギリギリって言うのがとても面白い。
さて、飛行機に乗って着いたところは関空。
ゆっくり食事をして、「はるか」に乗って京都へ。
おっ、京都じゃん。
ホームから街を見、新幹線で米原へ。
今日の仕事は、「邦楽への誘い」と題されていて、
佐吉さんのお仕事なんですが、長唄二曲あって、伝の会もちょっとあってというものなのです。
米原の駅で佐吉さんご一行と合流、邦さんもいる。
久々に会う佐吉家のみなさま。
20代の頃からメチャメチャこのご一家にはお世話になってますからね。
ウチのヒロキ(忠次郎)とも久々に会った。
会も無事に終演し、今夜は泊まりなので皆で宴会。
佐吉家の皆さんと一緒に飲むなんてのは10数年ぶりかも。
ヒロキだって久しぶりなのに。
僕が20歳でこの世界に入ったとき、佐吉夫妻は27歳だった。
よく家に遊びにいってご飯食べさせてもらったり泊まったり。
あの頃が昨日のことのように思い浮かぶ。
そんな楽しい夕べでした。
でもさすがにグタッとなり、二次会に行く気はあったがベッドにダウン。


11月28日(土)
琵琶湖の近くの長浜の朝。
いやいや、よく寝たなぁ。
ホテルからタクシーに乗ったらすぐに琵琶湖が見えた。
ホテルのすぐそこが琵琶湖だったのか。
ちょっと歩いてみれば良かったな。
東京帰りがけに、桜木町で、ちょこっと伝の会をやった。
ゲスト出演。
お座敷でやるのも久しぶりだ。
なんだか楽しかった。
帰りの電車。
那覇、琵琶湖、桜木町と三ヶ所だったが、相変わらず中身の濃い日々だった。
ありがたいことだ。


11月29日(日)
うー、眠い。
9時スタートのお稽古日。
何を食べようかなどと考える余裕もなく時は過ぎる。


11月30日(月)
今日、寒い、とても。
今日もお稽古日。
今夜は山梨で志の輔らくごがある。
馬場ちゃんのところだ。
今年も行けずに鉄六に頼んだ。
昨年も行けなかった。
来年もかしらん。


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